満天下別館

過去ログ32 2008/2/7 0:32

▼真鍋周平
民宿
合宿では砂浜と坂をひたすら走った.
股関節の筋肉痛は重たく
股間接の稼働域が制限されることで
人は「跳べなくなってしまう」ということを学習した.

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仕事では連日,偉い人の視察が続いて緊張する.
2/7(木)0:32

▼真鍋周平
合宿
明日から二日間合宿.
2/2(土)0:14

▼真鍋周平
偏見 その2
レッテル思考を防ぐ方法

* 「私はこれについてよく知らない」と自覚する。無知の知。
* 人が貼ったレッテルは基本的に信じない。自分で確かめられない場合は態度は保留する。
* 人・物事の内容について具体的あるいは詳細に調べる努力を惜しまない。
* 実地経験を多く積む。読書ならば、教科書的書物よりもケーススタディーなどを読み現実の多様性・複雑性を知る。

ぐらいは参考にして慎重に行動したいものだ.
1/27(日)12:26

▼真鍋周平
偏見
「ステレオタイプ」という言葉が最近よく使われるようになったと思う.

私がこの言葉を初めて耳にしたのはアニメ「攻殻機動隊」なのだが
最近はメディア,ネットでもよく見かける言葉になった.

ではその言葉の意味は?
といえば
「判で押したように同じ考えや態度や見方が、多くの人に浸透している状態」のことを云う.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97
(よく書けた記事だと思う)

最近,この「ステレオタイプ」に関する記事で面白いサイトを見つけた.
SEの生活についての世間の偏見とその現実を面白おかしく書いたサイトである.

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s01400.jsp?p=010039&rfr_id=tags

ウィキペディアの記事を引用するなら「ステレオタイプ的ものの見方」とは

「何故、そういうステレオタイプな思考やものの見方が妥当と確信するのか、
ということについても、メディアがそう述べているとか、まわりの人がみなそう言っているとか、自分自身で主体的に反省して吟味することが殆どなく、外部の意見やものの見方をそのまま無批判に取り入れ、鵜呑みにしていることが一般である。
その為、観念や確信に客観的根拠がなく、底が浅く、また複雑なものごとを単純化している結果、当人は十分に理解しているとの錯覚を持っているが、迷妄であって、固定観念になっている場合も多々ある」
ということである.

最近,情報化社会の恩恵(?)によって人間同士のコミュニケーションが不足し,この「ステレオタイプ」的なものの見方しかできない人間が増えてきていると思う.
すっかりメディアに毒され画一的で底の浅い考えにしか至らないなのだ.

そして「個性を捨て」ステレオタイプ的生き方をすることが「個性だ」と思う人も増えてきたと思う.
私はこれは全く「個性」などというものとは異なるものだと考えている.

「自分は○○だから,こんな生活やものの考え方をしなきゃいけない」などと考える必要はない.

例えば私はエンジニアであり,アスリートであるかもしれない.

しかしエンジニアだからエンジニア的(であると云う世間のステレオタイプ)生活や,ものの考え方をすることはない.
競技をやっているからといってバリバリの体育会系(という世間のステレオタイプ)の考え方をするわけではないし,そうした行動を取ることもない.

例えば,私は食後にブラックサンダーと云うお菓子をよく食べる.
職場の人には「アスリートがボリボリお菓子食べてて大丈夫なの?」などと云われることがあるが
私はそれに対して「どんなステレオタイプだよ笑」と思う.

オリンピック目指すほどの選手なんだったら仕事なんて休んでそっちの方に専念した方がいいんじゃないの?
などと云う人もあるが
それも「どんなステレオタイプだよ笑」と思う.

いすれも根拠の薄い浅い,考えのもとに述べられているということは云うまでもないことなのだが

では,現状はどうなのか?ということを知る術がないのだから
これはある程度仕方のないことなのである.
だから仕方がない.
1/27(日)12:09

▼真鍋周平
来寇
じゃじゃ馬のように暴れてくれるのであれば
こちらも制御のしようがあるのだが

全く動いてくれないのでは手の施しようがない

新しく覚えることも多く
日々,勉強の毎日である.

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馴染みの人から着信があって
何のことだろう?と電話に出ると
私が昔出ていたドキュメンタリが
http://www.bpcj.or.jp/about/index.php
に保管されることになったそうだ.

資料的価値があるということなのだろうが
何でこのタイミング?というのが正直な感想だ.

若い頃(まさしくじゃじゃ馬)の話が収録されたもので
加藤登紀子の「時には昔の話を」の歌詞の内容をそのまま地で行くような生活をしていた頃の話である.

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あの頃の「熱さ」が
やはり私の今の生活を引っ張っていると思う.

例えば,私の開発日誌.

機密の関係で今は全く話題にもできないが
今後,開発している商品が世に出る頃に
日誌をまとめて,ここにでも書きこめば「激熱」の書き込み内容になると思う.

そして,競技.

これも情熱をもって取り組んでいきたい.

仕事でもプライベートでも
何か燻っているものを燃え上がらせる機会がサラリーマンになっても用意されているということである.
1/26(土)15:21

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