1 ヴァン

京極 流月(2)

>>>34の続きです♪
2 流月
響:……何か言いたいことは?

流月:…………ごめんなさい;


ベッドに体を横たえばつが悪そうな流月を、五十嵐家の面々がそれぞれ違った面持ちで見つめる。
一番の理解者の長女は「よく頑張った」と労るように、感情の読み辛い次女はやはりよく解らず、三女は心配そうに看病を続けている。
優しい末の妹は泣き疲れてベッドによりかかって眠り、我らが母上さまは腕を組んでじっと流月を見つめる。
軽率を怒っているような、無事を心の底から安堵しているような眼差しに、流月は布団を顔まで引き上げて恥じ入る。


アリサ:おめっとさん、ひと月もすればベッドから出て出歩いていいってさ?
完治するのはもうしばらく先になるだろうけどね…。

流月:……お手数おかけします;

エリチェ:…そう思うなら、もうあんまり無茶はしないでね?


包帯を取り替え終えたエリチェに優しく髪を撫でられ、流月は申し訳なさそうに俯く。
元々それほど鍛えていなかった体は完璧に限界を訴えており、戦線離脱を余儀無くしていた。
治った頃には、一連の騒動も決着を迎えているかもしれない。
流月にはそのことだけが心残りだった。


響:…仕込みは預かっておくぞ。
アドベントカードも押収しておく、治療に専念するように。

流月:はい……。
…あの、それだけ…ですか?
おしおきとか…;

響:反省しているなら響は構わない。
…とにかく体を厭え、以上。

森羅:………かったね。
(「良かったね、許してくれるって♪」)


自分を信じたからこそ手を出さなかった響、自分を心配したからこそ助けに来てくれた森羅、精一杯看病してくれる家族に、流月は心が満たされていくのを感じた。
叶うなら、あの人にもこんな人々が側に居てくれますように。


流月:……ありがとうございます、みなさま…♪


大事な家族に最高の笑顔で応え、流月は眠りに身を任せた。
3 ミニストリーの方々
〜写真集裏話@〜


アリサ:エルちゃん写真集記念すべき一枚目が50%完成〜♪

響:まだ半分か、というか三人娘の絵なのに双葉っちがまだ輪郭しかないじゃないか

マンソリ:基本的大まかなポーズは他の人の作品見ないと描けない人だからねえ、うちのPLさんは♪
多人数の絡みはそれらをいかに自然な形で組み合わせ尚且つ等身を統一させて自分好みの服を着せる、個性を持たせると地道な作業の連続だし♪

エリチェ:完成具合としてはエルフィさん90%、一葉さん50%、双葉さん10%ってとこかしらん♪
……ってちょっと待って!

流月:どうされました、エリチェ姉さま?

エリチェ:…一葉さんって誰かに似てない?


(一同注目)


アリサ:そう言えば、確かに?
けど誰だったっけ…?;

響:喉元まで出かかってるんだが…こういうのははっきりさせないと気持ち悪いな;
誰だ…?;

マンソリ:確かアニメのキャラで…え〜と……?


マナセ:………高○な○は。


一同:煤c……!?


アリサ:え、ちょ、「頭冷やそうか」の人!?;
髪型以外は似てない気が!?;
…けどA'sのラストの中学生な○はさんって一葉ちゃんっぽいかも、イメージとして;

響:リリ狩る本気(マジ)狩るの人か、…確かにこの描き方だと管理局の白い冥王に見えないこともないような;

マンソリ:まあ落ち着こうみんな、フィンさまも昔いちはさんの設定の時に仰られてたじゃないか。

『たかまついちは』と『たか○ちな○は』はよく似てる、と。

一同:ああ…納得。

流月:していいんでしょうか…?;
4 ミニストリーの方々
〜写真集裏話A〜


アリサ:エルちゃん写真集企画……第一枚目、完、成……;

響:…飲み会で散々呑んだ後にしては、頑張った方か…;

マナセ:……(く〜すぴ〜)

エリチェ:と、とにかく力尽きるのは説明を終えてからね;
左から一葉さん、エルフィさん、双葉さんって配置。
一葉さんの服装はノースリーブシャツにスカート、マフラーとリボンも付けてもらったわよん♪
テーマは「自分だけの秋」…ぱっと見服装が初音ミ○に見えるのは仕様だから気にしちゃノンノン♪

流月:エル姉さまは二の腕を露出した長袖のカットソーとスカート、ニーソックス、首もとには黒いリボンの付いたチョーカーを着けてらっしゃいますよ♪
テーマは「木漏れ日の暖かさに似て」。
チャームポイントは眩しい笑顔です♪

マンソリ:双葉君は長袖シャツにデニムのミニ、ストッキングを穿いてチョーカーも装備…ハンチング帽は持ってるだけだけど被せてあげたかったね♪
テーマは「キュート&ボーイッシュ」。
ちなみに着てるぶかぶかシャツのモデルはPLの私服…やっちまったなぁ;

アリサ:ともあれ記念すべき一枚目がこうして完成したことを喜びぐー。

響:寝るな。
……しかし、そろそろ限界か;

流月:夕方からアルバイトですし、今の内に寝ておかないとですね;

エリチェ:そのせいでお披露目はちょっと遅れちゃうけど…楽しみに待ってて♪

マンソリ:では皆の衆、ここは雑魚寝ということで。

響:異議なし。
…では、おやすみ…。

エリチェ:ふわ〜…おやしゅみなひゃ〜い…♪

流月:……ベッド、私の入るところあるでしょうか…;
5 ミニストリーの方々
〜写真集裏話B〜


アリサ:二枚目完成じゃ〜っ♪
エルちゃん萌え〜っ♪

響:落ち着け発情魔女。
今回はフラウリィフェアリィということで花と花嫁をかけてみたぞ。

エリチェ:ヴェールを被ってウェディングドレスも着用♪
ウェディングドレスはコルセット状に胸元を強調して、腰のリボンで可愛さもアピール♪
カラーのイメージは白&ピンクってとこかしらん♪

マンソリ:ブーケも気合い入れたねぇ、静物描くの相当苦手なくせに♪

マナセ:表紙は…これでケッテイ。
モウ後二枚はいきたいトコロ。

流月:その辺りはPLさんの気合い次第ですね♪
というわけで気合い入れ直してくださいな♪(ぁ)


To be continued….
6 フルハウス〜五十嵐さんちの場合3〜
(そして誕生日当日…)


D.C.:さ〜てさてさて?
(踊るように仕度中)
掃除は完璧だし料理もセットアップ完了、裏庭で誕生日用の飾り付けしてるチハの準備が終わったら響の帰りを待つ、そんで帰って来たらパンパカパ〜ン♪
(入口に向かってクラッカーを鳴らす仕草)

アリサ:(がちゃっ)あらまあ!
ひょっとして私に内緒で舞踏会の準備かしら!?

D.C.:…出て来るタイミングが殴りたいくらい神がかってきたじゃねえか、さすが芸人

アリサ:外でひたすら出番待ってただけだったり、あとあたくしモデルですモデル
ねね、あたしの分の仕事残してある?

D.C.:ああ、あるぜ?
お前は特別に栄えあるクリームの味見係に任命しよう!
(クリームを指にすくい取り)

アリサ:ははっ、ありがたき幸せ〜♪(ぱくっ)
…あるぇ〜?;

D.C.:あ?
何だよ、まさか俺の自信作のクリームが不味いってのか?

アリサ:いや何か…ひょっとして味付け変えた?
ちょっちビター過ぎるような…

D.C.:こんなもんだろ?
響甘いのあんま好きじゃねえし…大体これはこれで味があるんだよ、もっぺん舐めてみろ。
(もう一度指にすくい差し出し、アリサが舐め…チハとフィンが見ていることに気付く)

チハ:………大丈夫よ、私そういう愛の表現もあるって理解があるから////

D.C.:ちげぇよっ!;////
ってかお前もいつまで舐めてんだこのやろう!////(ずびしっ)

アリサ:あいたっ;

フィン:そ、そんなことより大変なんですよう;
何だか空模様が怪しくて…

D.C.:なぬ?
…多分通り雨だろうけどマズイな;
よし、急いで裏庭撤収するぞっ!

フィン:ところで二人はさっき何をしてたんですか?

アリサ:そりゃビターな大人の味見ってやつですよ////

D.C.:変な言い回しすんじゃねぇ!!////
7 フルハウス〜五十嵐さんちの場合4〜
D.C.:な、何とか片付いたけど…こりゃマズいな;
部屋に飾り付けし直す時間ねーよ;

アリサ:バレないようにすればまだ何とか!;
マナセ、お部屋に行ってプレゼント取っておいで?

マナセ:やー♪(とてとて)

(その頃…響、帰宅中)

響:…最近みんながよそよそしい気がするな。
仕事に時間を取られ過ぎだったし、今日もこんな時間になってしまったしな……うん、今日は久々に外食でもするか。
美味い店に行って…みんなきっと喜ぶだろう。
…ただいま(がちゃっ)

D.C.:!?!!?
よ、よう響、おかえりー;(急いで取り込んだため散乱した飾り付けを隠し)

アリサ:お、お早いおかえりで;(ケーキを隠し)

響:…いや、むしろ遅い方だが。
ディー、後ろの飾りは何だ?

D.C.:へ!? あ、あの、これは…そう、あれだよ;
……チハ、説明してやって?;

チハ:狽たし!?
あ、あー……アリサを飾るの! 写真集のお仕事でタイトルは…た、誕生日おめでとう?;

アリサ:…そ、そうそうそうそう;

響:ふむ……じゃあこのケーキは?

D.C.:うぇ、あ、あー、あー……フィン!;

フィン:ア、アリサを飾るんです!

響:…柏キるのか!?

アリサ:そうそうそうそう!;(ヤケ)
タイトルは…ほら、ご、ご馳走は私よ?;(ウィンク)

響:……お前の仕事にまで口出ししたくはないが、さすがに超えてはいけないラインというものが。

アリサ:真剣に心配しないで! 悲しくなるから!(泣)
8 フルハウス〜五十嵐さんちの場合5〜
響:…まあ冗談はさておき、響抜きでパーティでもしてたか。

D.C.:ち、ちげーって、そういうんじゃなくて…

響:口答えするのか?

D.C.:サーセン;

響:…まあいい、みんなさえ良ければ外食でも…と思っていたんだがな?

アリサ:あーそれはちょっとマズいんでないかなーと愚考してみますですハイ

響:黙れ

アリサ:けどたまには外食もいいよね?;

チハ:アリサったら…;

響:いやいい、要するに響は邪魔なんだろう?
…子供たちも響よりディーやアリサに懐いてばかり、お前たちの方が親みたいだ。

D.C.:何拗ねてんだよ響;
いいから落ち着けって…

響:いいや響は落ち着いてるぞ? …確かに仕事にかまけ過ぎていたのは認める、しかしそれも家族のためだ。
なのに子供たちには好かれない…それならいっそ二人が親になった方が

マナセ:ヒビキままのバカ!!
(プレゼントを投げつけ)

響:マナセ!?
……これは…?

D.C.:…お前への誕生日プレゼントだよ。
覚えてたか? 今日お前の誕生日なんだぜ?
…そんなことも忘れるくらい必死だったんだよな、ガキたちのために。

響:………。

D.C.:俺ちょっくら迎えに行って来るよ。
アリサ、ここ頼んだ。

アリサ:お任せあれ♪

チハ:私も私も!

フィン:私がいることもお忘れなく?

D.C.:はいはい、頼もしい限りだよ(笑/マナセを探しに…)
9 フルハウス〜五十嵐さんちの場合6〜
響:…なあアリサ、響は間違っていたのかな…?

アリサ:間違ってなんかないよ、嫌いな人の誕生日祝ってくれる人がどこにいる?
みんな響が大好きだから、おめでとうを言いたかったんだよ?

チハ:アリサの言う通りだよ、お母さん♪

フィン:私たちは家族なんですから♪

響:…お前たち…

アリサ:そ♪
響は家族が大切だから、仕事を頑張ってくれた。
けどマナセは大切だからこそ一緒にいてほしかったんだよ。
素敵なプレゼントをあげたら響は喜んでくれる、きっと自分と遊んでくれる…ってね。
なのにあんなこと言われたら傷付いちゃうよ?

響:…今まさに反省してる;

チハ:お母さん…(響の手を握り)
いつも頑張ってくれてありがとう、けど…もうちょっとだけ、私たちとの時間を作ってくれると嬉しいな?

フィン:そうですよ?(反対側の手を握り)
あんまり構ってくれないと、ディーやアリサに浮気しちゃいますからね?

響:…それは困るな(笑)
お前たちは、響の可愛い娘なんだから…♪(抱きっ)

アリサ:私は?♪

響:…お前も大事な家族だよ♪(抱きっ)

アリサ:わぉ、情熱的♪
10 フルハウス〜五十嵐さんちの場合7〜
(D.C.&マナセ、帰宅)

D.C.:楽しそうなことになってるじゃねーか♪
ほらマナセ、お前も交ぜてって頼んでみな♪(背中を押し)

マナセ:……まま……

響:……マナセ、良ければ…響にチャンスをくれるかな?
誕生日、マナセたちにお祝いしてほしい…。

マナセ:……やー♪(抱きつきっ)


D.C.:そんじゃ改めまして…響、誕生日おめでとう!

アリサ:いや〜めでたいめでたい♪

マナセ:ヒビキまま…プレゼント…♪

響:ああ、ありがとう…♪
(ガサガサ/お世辞にも上手いとは言い難い絵が…)…これは、似顔絵…響を描いてくれたのか?

マナセ:(こくこく)…♪

響:随分美人に描いてくれたな…ありがとう…♪

アリサ:あの出来で自分だって解る辺り、お母さんだよねぇ…♪

チハ:いい場面なんだから茶々入れないの!;
お母さん、これは私とフィンから♪

フィン:新しいネクタイですよ♪
響をイメージした柄でチョイスしてみました♪

響:ありがとう、明日から毎日これ着けて行くかな…♪

フィン:ちゃんと洗濯してくださいね?

D.C.:俺からは特製のご馳走の数々だ! ケーキも俺が焼いたんだぜ?
…ちゃんとしたの買えなかったのは悪いけどな?;

響:十分さ、堪能させてもらってる…いっそミュージシャンじゃなくて料理人でもしてみたらどうだ?

D.C.:のーさんきゅー(笑)

アリサ:あたしもとっておきを用意したよ♪
まず水着を着用、で、そこに寝転がるからみんなは私にケーキを盛ってもらって

響:縛り上げて簀巻きにするぞ?

チハ:そのネクタイは使わないでね?;

(一同笑いに包まれ、場面暗転…)
11 ミニストリーの方々
〜写真集裏話C〜


アリサ:え〜、結構前に描いた三枚目のエルちゃんイラストについて少々……まず裸体でごめんなさい////

響:落ち着けタオルはあった、しかし服を着ていないと体の線がモロに出るからな…なかなか難しいものだ。

エリチェ:胸の膨らみはもちろんだけど腕とか足とか…それに肩とかもね?
女性特有の丸みを持たせなきゃだから大変なのよん♪

流月:PLさんもラストにもう一枚くらい描いてみたいようですけど…ネタも出尽くしてどうしたものかと頭を抱えてらっしゃるようで…。
別件でお友達からイラストの作成依頼もあったようですし。

アリサ:え、いつの間に?
ちなみにどんなイラスト?

マナセ:…タイトル、【ボン・ジョヴ○を女体化してみた】

響:だんだん仕事選ばなくなってきたな

アリサ:世界的アーティストに何てことを;
12 外伝:Dance with Alisa
−暗い夜道に足音が響く。

荒い吐息は白い霧となり、夜の寒さを窺わせる。

凍える体に鞭打って、男は尚も走り続ける。

時折振り返るも、そこには暗い暗い闇が広がるだけ。

星明かりも街灯も届かない夜の闇が。

その闇さえ振り切らんと、男の足は駆けるのを止めない。

「−Guten Abend、そんなに急いでどちらへ?」

−足が、止まった。

美しい女が立っていた、いや、年の頃から言えば少女か。

例えば、その少女の美しさに気を取られ足を止めたのか、否。
その美しさの裏側が今はただ恐ろしい。

例えば、その少女が顔見知りで挨拶を返そうと立ち止まったのか、半分は否、半分は是。
その顔を知っている、それ故にすぐにでも逃げ出したい。

その少女は天使か、否。
その少女は悪魔だ。
自分の命を奪おうとやってきた死神。

「十三色(私たち)は裏切りを許さない−」

そっと、自分の顎に手を添えて微笑む。

「−お祈りをジェントルマン、死出の旅路に安らぎを」

添えられた手が一閃する。
その手を目で追えば、白かった吐息が赤く染まったことに気付く。

視界が黒に覆われ、自分は仰向けに倒れているのだと気付いた時には空さえ赤く−


「…似合いの末路ですこと」

少女は微笑み、ステップを踏む。
血に染まったカードを閃かせ、呻く男の周りをくるくると。

少女の怒りを代弁し高ぶっていた風を宥めるように、くるくると。


くるくる、くるくる、くるくると。


やがて完全に男が事切れたことに気付き、足を止める。

つまらなそうに嘆息すると、居住まいを正し、スカートを摘まんで優雅に一礼した。

「Guten Naght、良い夢を」

踵を返した少女は、すぐさま夜の闇へと消えた。

後に残ったのは物言わぬ骸と、全てを見ていた風。

風はくるくると、少女の真似事をするように吹く。
彼女がそこにいたことを隠すように。

くるくる、くるくるとー。
13 Dance with Alisa 第一話
ミニストリー、某国お抱えの人殺し集団。
十三色、名前を無くした名無しの集まり。

年若い少女たちによって構成されたそのチームは、思いの外戦果を上げた。

そう、あくまで「思いの外」。

全くと言っていいほど期待されていなかった彼女らは、その戦果故に次第に組織内で疎まれ、危険視されていった。

いずれは自分たちの地位を脅かされる、そう感じた一部の幹部たちの下した決断はあまりにシンプル、そしてあまりに愚かだった。

本来はターゲットであるはずの第三国のテロ組織に、味方である彼女たちの情報を横流ししたのである。


そして悲劇は起こってしまった。


件のテロ組織襲撃に赴いた七名の内三名は重傷、当時の紺碧、そしてリーダーのキリエが命を落とした。

一時は十三色を解散し、散り散りに落ち延びる案も出たが…事件の生き残りでもある真紅、クリスがリーダーとして組織を建て直すと宣言した。

そしてクリスは……自分たちを売った幹部たち全員の粛正を宣言した。


〜・〜・〜


「……ふぅ」

血に濡れた上着を脱ぎ捨て、帽子をベッドに投げる。

彼女ーアリサはこの自室のベッドで眠ることは全くと言ってよいほどない。
むしろ物置代わりにする始末である。

彼女は夜を眠らずに過ごす。

夜の闇を、アリサは嫌っていた。
憎んでいる、と口にはしても、長い間その暗い深淵に怯えていた。

夜が嫌い、闇が嫌い、ずっとずっと前に殺してしまった両親を夢に見るから。自分の孤独を思い知らされるから。

だからアリサは眠らない。
疲れて意識を手放すまで、朝日を待ち続ける。
光の中でしか眠らない、安眠など、ついぞした覚えはない。


「アリサ…帰ったのか?」


ノックと共にかけられた声に、対するアリサは無言。

ーああ、お母様のお出ましだ。

忌々しげに舌打ちして、尚も無視し続けていると、鍵をかけ忘れたドアは無遠慮に開かれた。
14 Dance with Alisa 第一話
「…入っていいと言った覚えはないんですけど?」

「……帰ったなら寝ていても起こせ、響はそう言ったろう」

何やら憤慨した様子の女性ー五十嵐響を、アリサは何の感情もこもらない目で一瞥した。

アリサは響を嫌っていた。

通常、十三色のメンバーにはそれぞれにセーフハウスが用意される。
だが響はそれを断り、何人かのメンバーを引き取って郊外に小さな家を買って住んだ。
アリサは響のそういう『家族ごっこ』が大嫌いだった。

何故、わざわざ自分を引き取ったのか。
ああそうか、同情されるほど自分は哀れに映るのか。
忌々しい偽善者め、と歯を噛み締める。

向けられる愛情すらただただ不快で、歳が一つ違うだけの響を、アリサが母と呼ぶことは一度として無かった。
そして何度請われようと、アリサが五十嵐の性を名乗ることは無かった。

「…血まみれだな」

「見苦しいならすぐに脱ぎます。
着替えるから出て行ってもらえませんか?」

「何故血まみれなんだ」

…言っている意味が解らない、とアリサが肩を竦めると、溜め息と共に響は言葉を零した。

「…お前に技を教えたのは響だ。
『もっと上手く』こなせるように仕込んだのも響だ。
何故、わざわざ『血を被るようなやり方』を選ぶ。
それではただの」

「殺人鬼だ、とでも言いたいんですか?」

クスクスと微笑みを浮かべるアリサ、対する響は…無表情ながらもやはり怒りの色を見せ、

「…まさかアリサ、仕事を楽しんでいるんじゃないだろうな。
お前はいつも相手を『死なないように殺す』。
出来る限り苦痛を与えて、ぎりぎりまで死ぬことを許さないように」

「さあ…そうだったかしら」

「アリサ!!」

いつもは冷静な響が声を荒げたことに少なからず驚くも、アリサは馬鹿にしたような笑いを浮かべる。

「何を一人で熱くなってるんですか?
いい加減、そういうの鬱陶しいんですけど」

「…響のことが不快なら謝ろう。
お前に必要以上に構うのも止める。
だが殺しを楽しむような真似はもうよせ」
15 Dance with Alisa 第一話
「馬鹿馬鹿しい…どうせみんな死んで当たり前の奴らでしょう?
それに『今日のこれ』に関しては敵討ちですよ。
死んだ仲間のために」

ー言い終わる前に、乾いた音が響いた。

痛みに頬を押さえると、怒りに震える響と目が合う。

「…今お前は死者を貶めた。
だから叩いた。
敵討ちだなどといって…あいつらの死を汚すな」

震えながらも言葉を紡いだ響は、やがてふらつきながらもドアに手をかけた。

「……今日はもう休め。
疲れを…明日に残すな」

静かにドアが閉められるのを見届けると、アリサはそのままベッドに倒れ込む。

…目に隈が出来ていた。

休めと言ったあのお節介焼きは、ずっと自分を待っていたのだろう。
夜が更けて、朝日が昇ろうかという時間になっても帰らないアリサの無事を、ただひたすら祈って待っていたのだろう。

「……はは、は」

何て滑稽なんだろう。
好かれてなどいない、むしろこれほどまでに嫌われているのに、彼女は母親になろうとする。

「………何で、放っておいてくれないの?」

優しさが…痛い。
どう応えたらいい解らないから。
だから放っておいてほしいのに。

きっと響はアリサを責めないだろう。
朝になれば、何食わぬ顔でおはようと挨拶をして、叩いたことを詫びるだろう。

アリサにとってはそれが堪らなく嫌で、鬱陶しくて、響という存在が不快で仕方がなくて。

響にそんなことをさせてしまう自分が、堪らなく大嫌いなのだ。


〜・〜・〜


ー視力を失ってから、他の感覚は冴えてきている。
とは言い過ぎかもしれないが、流月は目が見えずとも不便だと思ったことは無かった。

今だってそう。
こっそりと、申し訳無さそうに、自分が寝ているベッドに潜り込んで来ているのが誰なのか、流月には手に取るように解る。

「…どうなさいました、アリサ姉さま?」

「………ごめんなさい、起こしちゃったわね」

お気になさらず、と微笑むと、流月はアリサの分のスペースを空ける。
16 Dance with Alisa 第一話
アリサが安心して眠ることが出来るのは、太陽の下か人肌の傍らのみ。
妹故にその事情を承知している流月は、大好きな姉のワガママをいつだって受け入れていた。

「朝ご飯はどうされますか?」

直に自分が朝食を用意する時間、流月としては多忙な姉にもたまの機会くらい食卓に顔を出してほしいのだが、

「起きられたら食べる…次は長期の仕事だし、眠りたいから今は寝かせて」

当の本人はこの調子。
アリサは響を嫌ってなどいない、流月はそう思っている。
愛情に飢えているのに、求め方を知らないからこそ、響の強引なまでの無償の愛情を受け入れられない。
むしろ恐怖している、信じた結果傷付くことに。
どちらにせよ、自分から見れば二人は何と不器用なことか。
そんなアリサが、流月は大好きでー

「解りました…おやすみなさい、姉さま」

ーほんの少しだけ、嫌いなのだ。


〜・〜・〜


−アルトリア女学園。

イギリスのウェールズ、のどかな風景の広がる、喧騒とは無縁の場所に、その学校はあった。
教会を併設した、寄宿舎付きの学校。
建物は白を基調とし、中庭にある噴水立派な時計塔が目を引く。

「育み、慈しみ、愛情を持って淑女を育てあげる」をモットーに、神の御心と愛の下健やかな少女たちを育てあげてきた淑女教育の名門でもある……らしい。

だが最近になっては過去の栄光も廃れ、生徒数は高等部、中等部を合わせ二百に満たない。
何故かと問われるなら、単純に需要を満たせなくなったから。
時代が変わったということ。
貴族社会真っ只中のヨーロッパならいざ知らず、女性も外で活躍する昨今の世の中。
一概に『純粋培養のお嬢様』が求められる時代ではなくなったということ。

しかしながら、そうした時の流れによって『純粋培養のお嬢様』の希少価値が高まったのも事実。
だからこそ今もスポンサーが付くし、我が子を立派な淑女にしたいと娘を通わせる親もいるからこそ、今時こんな田舎でもこの『名門校』は生き長らえているのだろう。

「減ったら減ったで価値を見出そうとするなんて、激大概たくましいですよね〜」とは、友人であるおしゃべりマシンガンな幽霊の弁。

−だがそんなことはどうでもいいし興味もない。

そんな思いも欠伸と共に吐き出し、若き魔女は校門をくぐった。
17 Dance with Alisa 第一話
「今日は転校生を紹介します。
ドイツの方で、こちらに来て日が浅いから色々と力になってあげてください」


教壇に立つ眼鏡の教師の言葉に、教室がほのかに色めき立つ。
厳しい校風故目立って騒ぐことは無いがやはり年頃の少女、イベントごとは大好きなのだ。

「お入りなさい」という教師の言葉に応え、戸が開かれる。

長い紫色の髪、理知的な表情、緩やかな足取りに、教室中の生徒が目を奪われた。

視線を一身に受ける少女は、さりとて気に留めた風もなくそのまま教壇に立ち、


「アリサ・ベルンシュタイン。
よろしく」


そうして五秒にも満たない挨拶を終えた。


〜・〜・〜


「魔術師」


呟いたアリサに、笑みを浮かべたクリスが頷く。


「そう。
あの忌々しい事件の時確かに僕らは痛手を負った。
けど『それだけ』だ。
手負いとは言えキリエや紺碧が何の魔術処理もされていない銃なんかで殺されるわけがない。
とすれば」

「あの時、本部(ミニストリー)から魔術師が送られていた」


そう、と呟いて執務机の椅子に座り、腕を組んだまま目の前のアリサを見据える。


「騒ぎに乗じて二人を殺した卑怯者だ、生かしてはおけないだろ。
片付けて来てよ、アリサ」


ー『キリエを殺した』、でしょうに。

内心毒づきながらもアリサは首を縦に振る。
クリスのキリエの執着は、周知の事実だった。


「それで、あなたの『愛しのお姉さま』を殺した魔術師の名前は?」

「……詳細な情報は三柑でも解らなかった。
イギリスのアルトリア女学園とかいう学校に身を隠している、ってくらいしかね」


ー学園関係者か、まさかとは思うが学生か。
忌々しそうに自分を睨むクリスを無視し、アリサは考えを巡らせる。
大したものだ、学生をしているような歳で魔術師、しかも剣聖キリエを葬ったというなら。


「…自信が無いわけじゃないですけど、キリエを倒した相手に『瑠璃』程度の私で足りると?
『白銀』やリーダーのあなたが適当じゃ?」

「響は絶対に首を縦には振らないだろうし僕も忙しい身の上なんだ。
キリエの残した『十三色』は僕が守らなきゃ。
それに真っ向から戦えなんて言ってないよ、『背後から首を切るような戦い』はお前の方が得意だろう?」
18 Dance with Alisa 第一話
見下したような目でそう問いかけるクリス。
ー成る程、さっきの仕返しのつもりか、とアリサは冷めた目で返した。


「やってもいいですけど条件を一つ。
サポートは必要ないので、一人でやらせてください」

「あっそ、別にいいよ?
仕事さえちゃんとしてくれれば。
でも何で?」

「その方が楽ですから、それじゃ」


早々に切り上げて仕事にかかろう、と身を翻す。
するとクリスは何かに気付いたとばかりに口元を歪め、


「…あ、そっか。
響に知られたくないんだ?
お母さんがそんなに怖い?」


ーそんなことを宣ったクリスに、アリサは振り返りざまタローカードを投げつけた。
法儀式済みのカードはクリスの髪をかすめると鎌鼬状の真空を発し窓を細切りにして突き抜けた。


「……その名前出さないでくれますか?
不愉快なので」

「な…な……」


ぷるぷると怒りに震えるクリス。


「……何てことするんだよいきなりーっ!?
窓、窓が、いやそれより僕の髪の毛がー!!」


訂正、脳の処理が追いついてなかっただけだった。


「今失礼なこと考えたろ!?
ああとにかく片付け…ミーナ、ミーナーっ!!」

「はいはいはーいっと」


その声に箒やらちりとりやらを持ったミーナが駆けつける。
ご丁寧に三角巾とエプロンまで着けて。


「うわっ、また派手にやったな〜…これ絶対みかんちゃん経費で落としてくんねーぞ?」

「うううるしゃいっ!
さっちゃと片付けろ!」

「へ〜いへいっと」


ー言えてないし。
付き合ってられないとばかりに踵を返そうとしたアリサの肩を、ミーナが掴む。


「オマエさ〜、あんまアイツの神経逆撫ですんなよ?
あれでも一応リーダーで、オマエよか年上だぜ?」

「ろくに寝てないのにこれの相手させられたあたしの身にもなってよ。
大体あんたたちが甘やかすからいけないんでしょ?
これじゃ流月の方がよほど大人だわ」

「ははっ、ちげーねーや♪
っとと、お仕事お仕事〜っと」


と、駆け寄って手早く粉砕された窓を片付けるミーナ。
クリスはまだあたふたと自分の髪をチェックしていた。
−ざまーみろ、とこっそり舌を出して退散する。


「ぼ、僕の前髪…僕のチャームポイントがぁ〜;」

「だ〜い丈夫だって、オマエの触角不死身だから。
ほらもう生えてきた」

「Σ嘘!?」
19 Dance with Alisa 第一話
……そう言えば前に響が「ヤツの前髪は無敵だ」とかよく解らないことを言ってたような。
そんな詮無いことを思いながら、どのくらいで荷造りが終わるかの計算と、せめて流月には事情を知らせておこうと考えを巡らせていた。


〜・〜・〜


「では早速ホームルームを…皆さん、転校してきたばかりのミス・ベルンシュタインに興味津々なのは解りますが、質問やおしゃべりは休み時間にするように」


ーそんな教師の言葉を聞きながら、周囲を軽く観察する。
大半が好奇の視線、敵意は感じない。

だがこの学園のどこかにミニストリーの魔術師がいる。
それを考えると軽い緊張とそれ以上に興奮が体の底から沸き立つ。

いい加減小物ばかりでうんざりしていたところにこの任務、しかも相手は剣聖を打倒した魔術の遣い手。
この任務を自分に回したクリスには感謝してやってもいいくらいだ。


「ミス・ベルンシュタイン、そこの空いている席に座っ……あら、何で空いている席が二つもあるのかしら…?
席の持ち主はどこか皆さんご存知?」


ぴくぴく。
教師の眉間に皺が寄ったような。
見れば成る程、最後尾窓側とその隣の席、空席は二つ。


「あの〜…シスターダグラス」


最前列に座っていた純朴そうな少女がおどおどと挙手。


「キャロルは、その…朝起こしに行ったんですけど「五分待って」って言われて…」

「……続けなさい」

「私五分後に行ったんです。
そうしたら「もう五分」って…始業十分前になっても出て来ないからひょっとしたら具合が悪いんじゃないかと思って聞いてみたんです」

「……ミス・グラッドストーンは何と?」

「「頭痛が痛い」って」

「ありがとうミス・ラッセル、もう十分です。
ついでに貴女の遅刻の理由も理解しました。
反省文は提出しなくてよろしい」


疲れたような顔で着席を促す教師ーシスターだったらしい、スーツなので気付かなかったがー。

そこにいきなり、


「スミマセンっ!!
遅刻しましたああぁーっ!!」


ーエラいスピードで教室に入ってきた生徒が、日本のドゲザ・スタイルで滑り込んで来た。

イギリスは騎士道だけでなくいつの間にか武士道も重んじる国になったらしい。
土下座が武士道に通ずるか否かはアリサには判断がつきかねたが。
20 Dance with Alisa 第一話
「スミマセンスミマセンスミマセンっ!!
私遅刻するつもりなんて欠片も無かったんですけどパティから借りた本が面白くてつい夜更かしを」

「おいおいさりげにあたしのせいにすんな〜?
あとキャロル、あんた人違い、人違い」


さきほど反省文を免れたのとは別の生徒ー話の流れからしてパティという名前だろうーが声をかける。


「へ?
人違……いっ?」


見上げたミス・ドゲザはびっくりした表情。
それもそのはず、ろくに顔も見ずに滑り込み土下座をした相手は


「………はじめまして」


丁度入り口とシスターの間にいたアリサだったのだから。


「…ミス・グラッドストーン、今はとにかく席にお着きなさい。
またあとで反省文の提出を……ミス・グラッドストーン?」

「…………」


シスターが何の反応も返さないキャロルを不審がって注視する。

キャロルはアリサを見つめたまま時を止めていた。

見つめられたアリサはと言うと、同年代の女性にあまりに斬新な角度から視線を向けられコメントに窮していた。


「ミス・グラッドストーン!?
…ええい話をお聞きなさいキャロライン・グラッドストーン!!!」

「はっ」


シスターの怒号でようやく意識を引き戻し、我に返る。
しかしアリサを見つめるのは止めず、むしろさっきより丹念に凝視。


「あ、ああ、あの、お名前、はっ?」

「あー………アリサ・ベルンシュタイン」


「一万年と二千年前から愛してましたああああああああっ!!」

「な!?」


いきなりの動き、むしろ迫力にアリサも反応しかねる。

突如として飛びついて来た目の前の生徒の勢いに押され


ーーーガンっ!!


黒板にしたたかに後頭部を打ちつけた。


「〜〜〜!?」


痛みに悶えてへたり込むも、自分にタックルしてきた女生徒はと言えばしっかりと抱きついて頬擦りまでしてくる始末。
周囲は呆然とし、シスターもあんぐりと口を開け固まっている。


アリサ・シャインベリー・京極。

キャロライン・グラッドストーン。


ある意味で運命の出会いの瞬間であった。


(第二話へ続く)
21 Dance with Alisa 第二話
ーニコニコニコニコ。


…隣からそんな効果音付きの生温い視線を感じる。
そちらにアリサがちらりと目を向ければ、


「きゃっ☆」


と目を逸らす頭に包帯を巻いて鼻にティッシュ詰めた割と重傷な女の子。
何故こうなったんだろうか…と、アリサは本気で頭を抱えた。


〜・〜・〜


「い、いい加減離れて…!」


まとわりついている女の子…キャロルを押しのけ、居住まいを直す。
ぶーぶー不平を漏らしながらもキャロルも立ち上がり、


「あ、モニカ〜今朝は代返ありがとー!」

「きゃあああああ!?」


今まさにアリサ達を助け起こそうとしていた、先程キャロルの遅刻の理由を説明していた生徒に抱きついた。
いやむしろ押し倒した。


「キャ、キャロル、具合大丈夫なの?」

「平気へっちゃら!
そんなことより毎朝の日課、おはようのちゅーを」

「きゃーっ、きゃーっ!
きゃああああーっ!!」


唇を突き出して迫るキャロルと必死に阻止しようとするモニカ。

まあこれが普通に頬へのキスならスキンシップで済むだろうが、押し倒された上にピンポイントで唇を狙ってくるのだからたまったものではないのだろう。


と、他人事のように「朝の日課」を眺めながらアリサは思った。


「ミス・グラッドストーン!
神聖なる学舎でそのような行いは控えなさいと何度言ったら…!」

「あ、すみませんシスターダグラス。
ヤキモチは嬉しいんですけどあたし二回りも年上の女性はちょっと」

「誰が二回り年上のおばさんですか!!?」


突っ込むとこそこなんだ。
何か騒がしいなぁ、ウザいなぁとただでさえ気が短いアリサは爆発寸前だった。


「さ・て・と?
それより何より〜…ステキな転校生さんにもあたしの熱いキッスを!」


いきなり飛びかかってきたキャロルをかわす。
『にも』、ということは…とモニカに目を向けてみれば、教室の隅で体育座りしてどんよりしていた。
朝の日課は無事完了してしまったらしい。
自分まで餌食にされてはたまらないとキャロルの猛攻をひらりとかわし続ける。


「むっ、なかなかの身のこなし…けど甘ぁい!」


なかなか捕らえられないと見るや、低く腰を落として突進。
大振りな動きではかわされてしまうがこのまま接近すれば細かい回避には対応可能、淑女はスカートが翻るような激しい避け方はNG。
22 Dance with Alisa 第二話
この技で数々の女生徒を(押し)倒してきたキャロルは勝利を確信し笑みを浮かべた。

対するアリサははぁ、と一度ため息をつき、


ミシッ


キャロルの眼前に膝を突き出していた。


「……こ、この防ぎ方は…想定、外」


まあ、淑女が顔面に膝蹴りをくらわしてくるとは誰も思わないだろうが。
がくっ、と大げさに後ろに倒れ、


ガンッ


「ぐはぁっ!?」


黒板に強かに後頭部を打ち付け昏倒。

周囲が騒がしく介抱する中、アリサはこっそり「ざまーみろ」と舌を出した。


〜・〜・〜


で、保健室に担ぎ込まれたかと思いきや、五分後には頭に包帯を巻いて鼻にティッシュを詰めて笑顔で戻ってきたわけだが。


「いやぁ、危うく完璧に行ったらだめなとこまで意識飛ばしちゃうとこだったよ」

「飛ばせば良かったのに」

「え、何か言った?」

「別に、授業聞いてれば?」


ー鬱陶しい。
先程から隣の席なのをいいことに、こそこそ話しかけてくるキャロルをしっしと追い払う。

あれだけぞんざいに扱ってやったのに、むしろ現在進行形で扱っているのに、追い払われてもすぐ「ねーねー」と話しかけてきて鬱陶しいことこの上ない。


「ねーおしゃべりしようよ〜。
授業中のおしゃべりは淑女の嗜みだよ?
女の子のお楽しみタイムだよ?」


唇を尖らせて文句を言ってくるキャロルに、またため息。


「…教室内であんたしかしてないし。
って言うか本気でウザいから近寄らないで」

「アリサさん髪キレイだね〜」

「聞いてないでしょ」

「ねーねーアリサって呼んでいい?」

「もういいわ」


ダメだこいつ英語通じない、とアリサは無視することにした。


ー授業に耳を傾ける。
キャロルはめげずに話しかけてくる。


ー要点を板書する。
丸めたノートの切れ端を投げられるも回避。


ー退屈になって窓の外を見てみる。
ガラスに変な踊りでアピールしてくるキャロルが映っていて嫌な気分になった。


ーもういいいっそ寝よう。
ここぞとばかりに頬にキスしようとしてきたキャロルを裏拳で迎撃、うんいい音がした。


「うう…ひどいよアリサ…」

「呼び捨てにしないで、馴れ馴れしい」
23 Dance with Alisa 第二話
メソメソしながら鼻をさするキャロルを、アリサが半目で睨む。


「え、さっき『いいよ』って言ったよね?」

「言った覚えないし、勝手に捏造しないで」

「そうだったかなぁ…?」

「いいから鼻血拭けば?」


周りに丁度詰められそうなノートの切れ端が山ほど落ちていたので投げつけておく。
一体いくつ投げたんだ、とちょっと腹が立った。


そこで丁度チャイムが鳴り、素早く席を立って教室から出る。
キャロルを始めとしたアリサに興味津々な面々が待ってましたとばかりに詰め寄ろうと見ていたのでそれから逃げるためだ。


(それに……視られてる)


好奇の視線とは別の明らかな敵意、どこからかは解らなかったが魔術で遠見されたのであればそう簡単には見つけられまい。


(さっさとおびき寄せて、さくっと片付けるか……)


あそこまで不躾に視線を送ってきたのであれば、件の魔術師にこちらの面は割れていると見ていいだろう。
ならばこちらからお膳立てしてやり、脇役を装った敵役を舞台に上げてやる。
袖に仕込んだホルダーからすぐにカードが取り出せるよう、二、三度手首を振って感覚を確かめつつ階段を登る。
今日この学園に来たばかりのアリサとしては、この時間人気の無さそうな所として思い当たるのは屋上くらいしかない。


案の定屋上へと続く扉の向こうには人の気配は無い。
それでも一応の用心をしながら扉をくぐって屋上に出る。
時計塔を中心にした、L字型の向かい合った校舎の内の片方の屋上。
見渡してみれば、周りは裏山の木々や寮へと続く道など、小高い丘にあるこの学園から見えるのは自然ばかり。


(さて…どう仕掛けてくる?)


未だぴりぴりと伝わってくる殺気。
短い休み時間中の学園内で大仰な魔術は使えないだろう。
ならば使える手はある程度限られてくる。
要はその裏をかき、クリス風に言えば『後ろから首を斬って』やればいい。


(……早く来ればいいのに……何を待ってるんだか)


未だ思い切らない魔術師に内心イライラしつつ、カードを取れるよう指を走らせ、


屋上の扉が開いた。


『ッ!!?』


一瞬、顔も知らぬ魔術師と思考がリンクしたように感じた。
これは明らかなイレギュラー、こちらは出しかけたカードを咄嗟にしまうだけだったが向こうはそうはいかなかったらしい。
24 Dance with Alisa 第二話
『仕掛けかけの一手』が持ち主の手を離れたのを素早く感じ取り、屋上に姿を見せかけていたイレギュラーの手を引く。
その際に短い悲鳴が聞こえたが無視し、庇うように自身の体で覆った。


ーカシュンッ


どこか間の抜けた音が耳元で聞こえそちらに視線を向けると、屋上のフェンスが一カ所不自然に欠けていた。

ー銃撃。

そんな単語が思い浮かぶと同時に気配を探れば、先程までの痛いくらいの殺気はなりを潜めており、魔術師が姿を隠したのであろうことを物語っていた。


(狙撃なんてナンセンスな…いや、むしろ魔術師だからって先入観で油断してた私のミスか)


自分の甘さにやれやれと肩をすくめ「あの?」


腕の中に少女がいた。
むしろアリサが抱き込んだからこうなっているわけだが。


「放してくれると助かるのだけどー…なんて?」

「あー………ゴメン」


ばつが悪そうにアリサが離れると、そんな様子を見て少女はクスクスと微笑んでいた。


「いいのよ、少しびっくりしただけ。
サボりを見咎められて捕まったのかと思ったから…」


そう言って笑う少女は、長いストレートの髪が似合うおしとやかな淑女。
そんな淑女の口からサボりなどと俗っぽい単語が出たことにアリサは目を丸くし、からかうように口を開く。


「淑女教育がモットーの学園で、堂々とサボり?
思い描いてた淑女像が壊れそう」

「あら、それは困ったわ…。
それじゃあ同意も無くいきなり抱きしめられた件を不問にする代わりに、サボりには目を瞑ってもらおうかしら? …なんて」


と返され、むっと口を噤む。
アリサは基本的にからかうのは好きだがからかわれるのは大嫌いだ。
だがこれで先程の襲撃をうやむやにできるなら安いもの、と渋々首を縦に振る。


「ま…ここは私の負けってことで」

「アイムウィン!
…ふふっ、けどこの学園の淑女像に傷を付けたままでは申し訳ないわ。
今晩寮でささやかな晩餐会を催しますの、『淑女的に』。
是非参加してくださる?」


淑女的、の部分に念を入れてこちらを見つめる少女に、アリサはやや困惑した調子で返す。


「返事は『行く理由がない』でいいかな?」

「『喜んで』で結構よ。
それに理由ならあるわ、『貴女が此処に来たから』。
これは貴女のための催しでもあるのよ?」


は? と首を傾げれば、少女が近付き耳元で、
25 Dance with Alisa 第二話
「是非いらしてね、アリサ・ベルンシュタインさん」


ー何故名前を?


一気に警戒の度合いを強め問い詰めようとそちらに目を向ければ、既に扉に手をかけ「なんて♪」と口ずさんで去って行くところだった。


〜・〜・〜


「お帰りアリサ〜」

「呼び捨てにしないで」


つれないなぁ、とぶーたれるキャロルを無視し、どこか苛ついた表情のアリサはそのまま席に着く。

苛つきの理由は二つ。

作戦目標の魔術師をおめおめ逃がしてしまったことと、あのイレギュラーの存在。
彼女の去り際の言葉が頭にずっと引っかかっている。


彼女が魔術師の協力者か、それとも単に名前を知る機会のあったただの女生徒なのか、その判断をつけることが出来ず放課後を待つしかない現状が腹立たしい。


「ア〜リ〜サ〜?
いきなりだけど放課後ヒマ?
勿論ヒマだよね?」

「勝手に決めないで、暇じゃない」


アリサの返事にえ゛、と固まるキャロル。


「う、嘘。
ちなみに、何の用事?
どうしても今日じゃなきゃダメ?」

「言う必要ないでしょ。
ちょっと寝かせて」


どうしようどうしよう、と何故か慌てているキャロルを無視し居眠り態勢に入る。
夜に寝ないアリサは基本的にいつも睡眠が足りていない。
加えて昼間の教室なら敵の襲撃も心配はいらない。
故に、どうせ悶々と悩むくらいなら寝てしまえ、と結論を下したようである。


「あ…けどどうせ帰る場所同じだし、初めの方でも終わりの方でもどっちでもいいから来てもらって」


うるさい、いい加減寝かせてほしい。
何やら必死に悩んでいるキャロルを頑張って無視し、アリサは授業中の居眠り独特の心地良い眠りに身を委ねていった。


〜・〜・〜


クリスやらキャロルやらと個人的に疲れる人物との相手が続いたせいで疲れていたのか、アリサが目を覚ましたのは授業が全てすっかり終わった後であった。
昼休みもすっかり眠っていたらしく、寝過ぎのけだるさと共に空腹を感じる。


さて、とりあえず寮に移動するか。
と帰り支度を始めると、机の中にある何かに手が当たった。
カサっ、という感触に訝しみ、引っ張り出してみると、どこか香ばしい香りを発する紙袋。
無論アリサの持ち物ではない。


(……パン?)


香ばしい香りの正体は紙袋の中に収まったパンだった。
26 Dance with Alisa 第二話
それもなかなかに甘そうな菓子パンが二つ。
甘い物はあまり趣味ではないアリサにとってさほど好ましいチョイスではなかったが、空腹は最大の調味料とはよく言ったもの。
普段好きではない物も美味しくいただける空腹時のマジック。


(…毒も入ってないみたいだし…ま、いいか)


どこの誰からの施しかは解らないが、さほどの感謝もせずパンを口に放り込んだ。
飲み物も欲しかったなぁ、などと罰当たりなことを考えながら。


〜・〜・〜


学園から寮まで、林の中を舗装された小さな小道が通っている。
小さな灯りが寮まで続いており、どこか幻想的な、例えるなら妖精の館にでも誘われているような印象を受ける。


「こんばんは、アリサ・ベルンシュタインさん」


そんな幻想的な風景の中に彼女は立っていた。
寮の門前で待ち人との逢瀬を待っていた。


「良かった、招待だけされてどこに行けばいいかなんて聞かなかったし。
こっちから探す手間が省けた」

「ええ、私も教室に帰ってからそのことを思い出して…妹にも『お姉ちゃんはぼんやりして大切なことを忘れる』ってよく言われるの」


なんて、と昼休みに会った少女が微笑む。

どこか底が知れない、というのが、アリサの彼女に対する印象。
見た目通りの優しい人物かもしれないし、ひょっとしたらそんな微笑みも仮面の上だけなのかもしれない。
こういう、何を考えているか解らない相手はやり辛い。


「こちらへ。
皆さんお待ちかねよ」


ー皆さん、と来たか。


誘われるままに着いて行くが、気付けば敵の罠の真っ只中かもしれないというわけだ。

だが正直数は問題ではない。
先に呪文を詠唱しておき敵が現れた瞬間とっておきのカードを発動すれば、十分に対応可能だろう。
戦闘では術の威力も重要だろうが、対魔術師戦で一番にものを言うのは詠唱の早さ。
アリサが先に媒体であるカードに魔力を通して常備しているのも、ひとえに戦闘におけるスピードを重要視している所以である。


「さ、ここよ。
開けるわね?」

「いつでもどうぞ」


一旦寮に入り、中庭へと続くのであろう扉の前で一度止まる。
カードはいつでも取り出せる、発動文句(キー)は詠唱済み。
戦闘準備は十分。


ゆっくりと、扉が開かれる。
27 Dance with Alisa 第二話
『ようこそ!
アルトリア女学園へ!』


ーそして盛大な拍手と共に迎えられた。


(…………………………………は?)


用意していた魔力が霧散していくのを感じつつ見回してみれば、中庭にはテーブルが並べられその上にはたくさんの料理や飲み物、そして周囲には恐らく自分を歓迎しているのであろう生徒達。


「改めてよろしくアリサーっ!
仲良くしようねーっ!」


言いながら突進してくる影。
反射的に避けるとそのまま「ふぎゃ!」という悲鳴と共に壁に突っ込んでずるずると崩れ落ちた。
こんな馬鹿はそうそういまい、と見れば案の定、既に復活して人懐っこそうな笑みを浮かべているのはキャロルだった。


「えー……と、つまりこれ、歓迎会ってやつ?」

「そうだよ、知らなかったの?
お姉ちゃんから聞いてたのかと思ってた」


服に付いた汚れを払いながら首を傾げるキャロル。
むしろ初耳だ、とツッコもうとしたところではた、と止まる。


「……お姉ちゃん、ってのは、何処の誰のお姉ちゃん?」

「あたしの。
…あれあれ?
それも聞いてない?
というかひどいよアリサー、あたしが案内しようと思ってたのにお姉ちゃんにエスコートしてもらうなんてさー」


そこで後ろから、アリサをここまで案内した女性が歩み寄りクスクスと微笑んだ。


「アルトリア女学園生徒会長、コーデリア・グラッドストーンよ。
妹は貴女に迷惑をかけてないかしら?」


キャロライン・グラッドストーン。
コーデリア・グラッドストーン。
ああ成る程。
しかし、何と言うか。


「……似てない姉妹」

「ちょ、アリサ、何でかなっ!?
こんなに瓜二つな姉妹なのに!」

「え?どこが?」

「実の姉にまで不思議そうな顔されたーっ!!?」

「大丈夫よキャロル、少なくともお姉ちゃんはお母さま似だから。
キャロルはお父さまにもお母さまにも似てないけど、なんて」

「フォローになってない上にトドメ刺しにきてるねお姉ちゃん!?」


取り敢えずこの姉妹間の揺るぎない力関係が確認できたところで、こりゃ付き合ってられねえという結論に至る。
どうやら周囲の生徒たちは歓談を始めたらしく賑やかなことだ。


そして取り敢えず、この場で一番の間抜けは色々勘違いした挙げ句散々空回りしていた自分なのだと、アリサは理解した。
28 Dance with Alisa 第二話
(ああ何と言うか……)


馬鹿みたい。
笑いがこみ上げてくる。
気付けば、声に出して大笑いしていた。


まあ、何だ。

魔術師のことや組織のこと、プライベートで言えば不眠症や家族関係。
考えなければいけないことは多いが、せっかくの機会だ。
悩んでるのも馬鹿らしい。
せいぜいこの環境を満喫させてもらおう、とアリサは思った。


「あれ、アリサどうしたの。
すごい楽しそう」


姉とじゃれ合い終わったキャロルがアリサの方へ歩いて来る。
もう訂正するのを諦めたのか、呼び捨てなのをアリサは正さない。


「べっつに。
まあ、のんびりやってこうかなって。
焦っても仕方ないし」

「??
よく解んないけどいいことだと思うよ?
のんびりは楽しい、のんびりは最強ー!」


はしゃぐキャロルを横目に軽く溜め息。
だが、そこには小さくとも確かな微笑みがあった。


「それよりアリサ、食べないの?
せっかくのご馳走だよ?」

「さっきパン食べたから、あんましお腹空いてない」


気が向いたら食べるわ、と続ければキャロルが何故か目を輝かせて見つめている。
何よ、と視線だけで問いかければ、


「…パン、美味しかった?」

「ん? ……まあ、ね。
けどもうちょっと甘さ控えめな方が好み」

「そかそか、覚えとく」


頷きながらもくふふ、と笑うキャロルに、アリサは怪訝な目を向ける。
一体何がそんなに楽しいのか、と思っても口には出さない。


「けどアリサ甘いの苦手なんだ?
もったいないよ〜、人生半分以上損してるよ?」

「その糖尿病予備軍な台詞から察するに、あんたは甘党なわけだ」

「うん大好き!
お茶にはお菓子必須だし食後もケーキ欲しいし!
けどお肉も好きなの、愛してるの!
野菜さんたちはアウトオブ眼中なの!」

「すくすく肥えろ」

「ぐはぁっ!?」


一笑と共に切り捨てれば、キャロルは真っ白になって膝をついた。
自身のウェストをつまみながら「あぅあぅ」と不可解な声をあげ、涙目でアリサを見ている。
自業自得だざまーみろ、とアリサは素知らぬ顔で飲み物を煽った。


「アリサさん」


呼ぶ声に振り向けば、コーデリアとあと何人かの生徒が微笑みを浮かべてアリサの方へ。
29 Dance with Alisa 第二話
「生徒を代表して、貴女に歓迎の意を表します。
私たちきっとお友達になれるわ」


差し出された右手に一瞬戸惑い、軽く頬をかいて、


「えーと…………。
ま、よろしく」


素っ気なく出した右手で、握手に応えた。


(第三話へ続く)
30 Dance with Alisa 幕間その1
幕間その1
〜『不束者ですが』〜


【…号室
キャロライン・グラッドストーン
「アリサ・ベルンシュタイン」(←書き足した痕跡アリ)
ノックしてね☆】


宴も終わり、今は自室。
キャロルはこれでもかというくらい満面の笑みでベッドに座っている。
対するアリサの顔に浮かぶは狼狽、冷や汗がつっと頬を流れる。


「……チェンジ!」

「いきなりそれは失礼じゃないかな!?
あれだよ、二人でお喋りしたり楽しくお酒飲んだりしてたらきっと気も変わるって!」


どこのいかがわしい店だそれは。


「じゃあ、ダウト!」

「騙してないから!
本当の本当に同室、あたしが裏で手を回したとかでもないから!」


いやこいつならやりかねない。
まだ会って一日も経ってはいないが、キャロルという人間についてアリサはそういう確かな認識を持っていた。

まあつまりあれだ、既に荷物が運び込まれていることを聞き、管理人から鍵を受け取り、表札に愕然とし、何かの間違いだろうと淡い期待を持って扉を開けたら、変態が待っていたと。


「少し前に同部屋の子が引っ越しちゃってずっと寂しかったの!
もう最高♪」

「私は最低。
取り敢えず半分からこっち私のエリアだから、侵犯したら武力制裁ね」

「えらい一方的な国境が形成されてる!?
キャロル共和国はアリサ連邦に対し国交の回復を提案します!」

「却下、審議の余地無し」

「独裁国家だぁ!?」


おいおいと咽び泣くキャロルは無視、荷物入り段ボールで即席構築されたベルリンの壁は高くてぶ厚い。
だがこれでは荷解きが出来ない、と一瞬悩むが「まあその内やればいいか」と自分の身の安全を優先する。
ともあれこれでゆっくり眠れることだろう。
とりあえず一声かけてから床に着こう、とキャロルを見て、


いそいそと大きめのYシャツ一枚というコスプレに及ぼうとしているところを目撃してしまった。


「そうはさせるかーッ!!?!?」

「えっ、あ、な、何が!?」


いきなりの大声にさすがのキャロルも狼狽する。


「あ、これは別に変な意味じゃなくて、あたし寝る時はいっつもこのスタイルなんだ?
気楽だし、アリサもやってみればいいよ」

「……遠慮するわ、心から、謹んで」


いい加減相手にするのは疲れた、と手早くラフな寝間着に着替えてベッドに転がる。
31 Dance with Alisa 幕間その1
眠れないなら眠れないなりに、こうやって体を休めておかないと体が保たないのだ。
アリサが就寝の態勢に入ったのを見てキャロルは電気を消し、ベッドに潜り込むが、目は爛々と輝かせたままで。


「ねーねーアリサ、アリサの住んでたとこってどんなとこ?
名物は? 何が美味しい?
お気に入りの場所とかあった?」

「ストップ」


一言で制止させる。
寝転んでいるので顔は見えないが、あの喧しいルームメイトは「何?」と不思議そうに首を傾げていることだろう。


「そんな根掘り葉堀り聞き出して何が楽しいワケ?
あんた探偵か、さもなきゃ私の母親?」

「?
せっかく友達になれたんだからいっぱいお喋りしたいし、色々教えてほしいんだよ。
アリサはそういうの無い?」

「無い」


一言で切って捨てる。
今まで他人に興味を持ったことは無いーまあ流月は例外として、だがー。
自分の生い立ちや人生論を他人に聞かせたところで何ら益は無い。
迂闊にそんなことを言って、余計なリスクを背負いこむのはまっぴらだった。


「そっか…アリサって割とシャイなんだね?」

「……何でそうなるんだか」

「じゃあじゃあ私が喋り専門ね?
私のこともいっぱい知ってほしいし」

「…勝手にすれば?」


言うやいなやキャロルは語り出す。
自分がどれだけ甘党かだとか、姉の天然ぶりだとか、友達のモニカがどれだけ気の利く女の子なのかだとか、シスターダグラスの愚痴だとかを。
アリサはそれを黙って聞き、ごくたまに気まぐれに相槌を打つ。

どうせ眠れないなら、こんな過ごし方もたまにはいいかと。

そう思えるくらいには、有意義な夜だった。


(To be continued…)
32 ラシャからの手紙
マンソリへー


この手紙を読んでるということは、無事に日本に帰りついたってことね?
それはひとまず安心

でも落ち着いたところ悪いけど、一つ謝らないといけないことがあるの


簡潔に言えば、私は戒めを破った
そのことをまず謝るわ


鏡渡りの魔女は鏡の世界からいかなるものも持ち帰ってはならない、私は貴女にそう教えたわね?


けど貴女の隣にはロロがいる、それが私の罪


何故ロロがあの姿で現れたかは解らない


けれどこれだけは言える


マガイモノは生あるものに焦がれ、存在に憧れ、在り方を模倣する
ならロロは、フィンちゃんにその気持ちを抱いた
だからフィンちゃんとして産まれた


自ら望んで産まれたロロを、周囲を捕食の対象としてではなく共存の存在として選んだロロを私は放ってはおけなかった


いつだったか町の路地裏であんたを見つけた時と同じね?


私やっぱり色々拾ってくる性格みたいだから、諦めてくれると助かるわ
ロロにはあんたたちのこと異国から来た伝説の戦士(笑)とか伝えといたからよろしく(再度笑)


さて、あと一つ


鏡渡りの魔法だけど、出来る限り使うの控えなさい
自分で編み出しといて何だけど、人間が扱うにはかなり無理があったみたいだわ


人と異なる次元を踏み越えるタブーは確実に体を蝕む


それこそ体の組織を緩やかに殺し、寿命を縮めるくらいに


何が言いたいかは大体察してくれたと解釈して明言もせずに話を続けるけど、もう私に顔見せに来る必要はないわよ


高い旅費がかからなくなって嬉しいでしょう? 師匠泣かせの馬鹿弟子め(笑)


そういうわけだからロロをよろしく。
あとココのことだけど、あんまりいぢめるんじゃないわよ?
あんたももう子供じゃないんだから、恋人は大切にしなさいね?
いぢめるだけが愛じゃないんだから(笑)


それじゃあ、長くなる前に(十分長くなったけど/笑)ペンを置きます
せいぜい長生きして、ココと幸せになりなさい


このロリコンめ(笑)


最愛の娘へ


不出来な母よりー


P.S.
思えばあんたに手紙なんて初めて書いたけどたまにはいいもんね?
書いててわりと楽しかったわ
貴重な経験をありがとう
33 削除済
34 ヴァン
 ―…昔むかし、ある所に。

 三蔵法師というそれは徳の高く、善良な僧侶がおりました。

 有り難い経文を賜る為、遥か西の更に西、その最果てにある天竺を目指し旅立った三蔵法師。

 それに付き従うは、三蔵法師が全幅の信頼を寄せた三人の従者達。

 捲簾大将、沙悟浄。

 天蓬元帥、猪八戒。

 そして……斉天大聖、孫悟空。

 弱きを助け、強きを憎む。
 彼女らの道行きは困難なれど、その正しき行いから人々は旅立つその背を感謝と羨望の念で見送り―――


「「「「ないない」」」」


 ……こほん。
 まあアレだよ、事実は小説より奇なり、ちょっとこれおとぎ話のままが良かったなーなんてのは、わたしがこの仕事に就いてからしょっちゅう言われてることなのさ。
 大衆向けにフィルタリングされたお話に求められるのは清廉さであって真実じゃない。
 物語のその後なんて誰も気にも留めない。


「孫悟空。
……西へ行って、ちょっと世界救ってこい」


 だけど敢えて語ろう、語っちゃうよー。
 何故かってそれは、そういう気分だから。
 これは、問題児四人組の面白紀行のその後を描いた物語…―


【西遊記2ndシーズン】
〜幕間戯曲『ヘイトフルホワイト』〜


 西の果て、名を恵岸国。

 楽園と謳われし天竺のほど近く、緑萌ゆる草原に囲まれし自然豊かなその国は、国にあって国に非ず。

 王は無く、法も無い。

 無名の荒くれ共、一様に彼の国を我が物とせんと、武器を取り、徒党を組んで足を踏み入れるも、しかして唯の一人も生きては帰らず。

 それは、この国に在る唯一にして絶対の戒律に依るものなり。


 曰くー


 …『魔王』の逆鱗に触れるべからず、と。
35 ヴァン
 火の手が上がる。
 土の壁に藁の屋根で出来た簡素な住宅はいとも簡単に崩れ落ちるも、それを嘆く者も、注視し驚嘆する者も居ない。
 いや、悲鳴は既にあちこちから上がっているのだ。
 ただ、逃げ惑う人々にとって今はそれどころではないというだけで。


「…あれだけ苦労してこれだけだ!? ざっけんな!」


 馬が嘶く。
 それに跨がるのは少女、と言って差し支えない虎柄の布と革鎧を纏った女性。
 違和感を覚えるとしたら、手にした手斧と紙幣を詰めたズタ袋、それに『本物にしか見えない獣耳と尻尾』。
 それらが彼女を野盗の類いであり、『妖怪』なのだと認識させる。


「け、けど虎先鋒(こせんぽう)のアネゴ、最初に『こんな萎びたド田舎じゃアガリも少ないだろうけどなー』、って言ってたのはアネゴの方ですニャー!」

「それより盗る物盗ったんだから早く逃げるニャー! 妹分達が今頃お腹を空かせて鳴いてるニャー!」


 取り巻きとおぼしき、同じく馬に跨がり武装した少女達が叫ぶ。ニャーニャーと。
 ー愛らしい。
 非常時にも関わらず、怯え惑うはずの村人達も思わずほっこり。

 
「だから!
お前らはもっと!
語尾を隠す努力をしろと! !
何でアタイら一族が周りから舐められてるかまるで学習してねぇな、さては!?」

「そんなこと言っても、アネゴだって気を抜いたらたまに言ってるニャー」

「生まれもった口癖はそう簡単に抜けるもんじゃないニャー」

「いいからもう喋んな! これ以上生暖かい目で見られる前にズラかるぞ!」


 既に手遅れな空気ではあるが。
 ー愛らしい、とても。


「ー待ちなさい」


 そんな中立ち塞がったのは、ターバンとマントという出で立ちの、いかにも旅人といった風体の少女だった。
 しかしマントから覗くのは刀ではなく村娘の着古した普段着。
 だがショートカットの、前髪のみが長く片目を隠した彼女のもう一方の瞳は、確固たる意思を持って相手を睨み据えていた。
36 ヴァン
「ハッ……武芸者ってナリじゃないな。言っとくが、アタイは見かけより狂暴で腕も立つぜ? 怪我したくなけりゃそこをど」


「『彼女』は西の那胡(なこ)」


「ー最後まで聞けよ!」

「『彼女』はあなた達の行いを看過できない。今すぐそのお金を村人達に返すべき」

「無視か!」

「返すべき、早く。早く。早く」


「スゴいニャー、あの勢いだけは誰よりもあるアネゴが無手の女に圧されてるニャー」

「アイツ新しい形のKYだニャー」


 那胡、と名乗った少女の得も知れぬ圧力にじりじりと圧されるも、虎先鋒は頭を振って手斧を振り上げた。


「くそっ、殺生はしたくなかったってのに!」

「『彼女』は覚悟してる。少なくともあなたよりずっと」

「…舐めるな!!!」


 その凶刃が、少女に向かって振り下ろされー。


「ー御免!!」


 今度は何だ、と虎先鋒は手斧を止めていた。
 視線の先には、腰に刀を差し、どれだけの距離を歩いてきたのか砂ぼこりまみれのーーー『昇り龍』が描かれた黒いサーコートを着た生真面目そうな少女が、何故か四人分はあるだろうリュックやカバンを担ぎ、ミントガムのCMがごとき無駄にいい笑顔で村の入り口に立っていた。


「取り込み中の無礼を許されよ! しかしながら其処元の事情も切迫しておる故ご容赦いただきたい!

ー誰ぞ、最寄りのコンビニの場所を教えてはくれぬだろうか!?

ジャンケンで負けて『次のコンビニまで』と荷物を預かったが行けども行けども一軒も見当たらぬ!

そろそろ腕も限界ゆえ、この際『龍孫』でも『家族亭』でも構わぬ!
…欲を言えば『七と十一』が良いのだが! 銀角殿が『愛饗宴・日光』? だかのコラボキャンペーン品を所望しておられるゆえ!」

「知らねぇよ!! そしてこの辺りにコンビニなんて存在しねぇよ!!」

「何……だと……?
で、では『円陣K』は!?」

「合併されたよ!!」

「ええいならば『星光亭』ならばッ!!」

「北に行け!!!」

「あのアネゴがツッコむことしか出来ないとか」

「あの似非侍、只者じゃないニャー」
37 ヴァン
 すっかりと弛緩しきった空気、と見せかけて実際のところそれは膨れ上がって破裂しそうなほど張りつめきっていた。
 邪魔者なぞ一人も居まいと踏んで決行した今回のヤマ、しかしながら目の前には正体不明の旅人が二人。

 しかも惚けた方は刀持ちー…武芸者だ。

 手下二人は勿論のこと、虎先鋒も何時でも武器を振るえるよう得物の柄を握り締めている。
 そして、
38 ヴァン
「…よう、サムライもどき。
てめえが今自分で言った通りこっちは取り込み中だ。
五体満足でこのまま当てのないコンビニ探しを続けたいなら、黙って、後ろ向いて、消えな。
その腰の物抜いて無頼武侠を気取ろうってんなら、見付けたコンビニで救急車を呼んでもらうことになる」

「はてさて、それは困った。
こちらとしては道を聞きたいだけだが……見たところ」


 チラリ、


「こちらはまず数で負け、そちらは馬上と地の利もある。
もっとも……それも私の腕が三人と斬り結んで圧倒出来るほど達者であれば何の問題にもならぬが、な」


 チラリ、と目を巡らせる彼女もまた、荷物を抱えたままその手は刀の柄に手が伸びていた。
 つつ、と知らず冷や汗が伝う。
 虎先鋒達は邪魔者二人に挟まれたまま、膠着状態の中で思考を巡らせる。
 こいつはどこまで本気なのか?
 本当に腕が立つのか?
 ー…そもそもその罰ゲームスタイルのまま満足に刀を振れるのか? そんな格好つけたまま?
 むしろ逆に見てみたい気さえする……!


「ーシャオりん、某(それがし)Tueeeなとこ悪いが」

「ー刀を抜く為に荷物を落とそうものなら」


「「罰ゲーム追加な」」


「ーー既に十五キロ強の重量だというのに更なる追加を!? これ以上、『おみや』と称して行く先々でご自分らで食す菓子やらよく分からないスカート短め女子のフィギュアを買い漁るのはお控えいただけまいか!」


 一人は、巨大なフォークを背中に担いでいた。
 フード付きケープにサロペット。袖の膨らんだブラウスにサイハイソックスとローファー。
 …もぐもぐと口を動かしているのは右手のドーナツを頬張っているからで、左手の箱は恐らくおかわりだろう。

 一人は、一対のでかい食器ナイフを両足の脹ら脛に巻いた革ホルダーに差していた。
 裾がマントのように長い猫耳パーカーを全開のままアンダーバストをベルトでぐるりと一周し、レザーのパンツに同じくレザーのブーツ。
 …よく見るとインナーのシャツに描かれたデフォルメアニメキャラがパーカーからそっと顔を覗かせているのが一際異彩を放っている。

 服装からして正反対の二人だが、その面貌は互いによく似通っていた。
39 ヴァン
「別に我がお小遣いをどう使おうと」
「自分でバイトした金なので文句など」

「「片腹痛いわ(嘲笑)」」

「それなら買った物まで責任をとっていただけないものかなあと!
そも、荷物を捨てるなというなら荒事はお三方の担当では!? …そこ! あからさまに面倒くさそうな顔をしない!」


 指摘通りの不満顔。
 ケープの少女は嫌そうにドーナツの空き箱を背後に向けて放り投げ、パーカーの少女は片耳にだけ付けていたイヤホンを億劫そうに外した。


「…仕方なし」
「やるのはいいが」

「「なんぼ出す?(マネー的ハンドサイン)」」

「ーーー例のごとくカラッケツでしたか!! どうするんですか! 当分バイトの宛てもないのにまた私のことを財布扱いされるおつもりか!」

「財布なんてとんでもない」
「大事な仲間だものなあ」

「「頼りにしてるよ、ATM?」」

「無限に引き出せるわけないでしょうが!!
せいぜい出せて食事三日分、一番戦績の良かった方のみ! それで如何か!」


「ーーーその賭けのったぁ!!!」


 太陽に陰りが射す、と同時に飛来する新たな影に気付いた虎先鋒が、舌打ちと共に棍の一撃を受け止めた。だがその重い一撃から反射的に馬を庇ったことで体勢を大きく崩し、その体が地面に投げ出される。
 それに慌てたのは取り巻き達だ。
 いきなり空から現れ得意気に長い棒で肩を叩く着崩した法衣の少女を前に身構える。


「ア、アネゴー!?」

「ふ、不意打ちとは卑怯ニャ!?」

「油断したな馬鹿共め! やーいやーい! 一位になって奢られるのはこのわたしだー!」

「ああそんな…飢えで性格が豹変されておいでか! 正気に戻ってくださーい! 私たちだけならともかく、色んな人に見られてますからー!」

「いや」
「というかアレ」

「「素じゃね?」」

「もしくは成長して親父に似てきた」
「それな」
40 ヴァン
 お宅ではどのような教育を娘さんに施しておいでなのか、と最高僧(パパ上)様に問い質したい今日この頃。
 トレードマークのゴーグルがおでこにきらりと輝き、ノースリーブのインナーにショートパンツ、肩と肘にはプロテクター、お下がりの法衣はただ「熱いから」という理由で二の腕部分を大胆に切除(カット)。


 仏門に下って昔と変わったのは身長くらいではないですか、紅鎧児(元上司)様。


 二人(モンペ)が大事に大事に育んだヤンチャ娘のぎゃはは笑いをバックに、遠い故郷に思いを馳せる竹馬の友が三人。主に恨み的な奴な。


「くっそ……てめえらこの虎先鋒一味に舐めた真似かましやがって、タダで帰れると思うニャー!!」

「ああほらアネゴ、言ったそばから」


 猫じゃないのか、という大多数の疑問を総スカンし、ニャー、ニャーと大声を上げる虎先鋒。
 するとそれに呼応するように、そこかしこからニャーニャーと手下達が露地から、略奪していた家屋から、屋根の上から馳せ参じる。
 もうどう言い繕っても、愛らしい。
 ゴーグルの少女は不敵に鼻を擦り、


「金さん!」

「んぬ?」

「銀さん!」

「あぃあぃ」


 ニィッ、と犬歯も剥き出しに笑って見せた。


「ーーー懲らしめてやりなさい!!」

「「言いたかっただけか」」

「あ、では小龍めは待避しますので良しなに」


 それを皮切りに虎先鋒の部下達が四人に殺到する。
 歩み出る二人は、素人目に見ても隙だらけで到底この数を相手に立ち回れるようには見えない。
 そもそも、やる気が一切感じられない。


「面倒だな」

「腹減ったしな」

「さっき食ったやん」

「金さん育ち盛りゆえな」

「乳か、乳のことか」


「「まぁ、とりま」」


「ーーギアはトップで」

「了解、ぶっ食らわせる」


 カッ、と踵を鳴らしたパーカーの少女の靴裏からインラインスケートの車輪が飛び出すのと、ケープの少女がその凶器としか見えない巨大フォークを振り上げたのはほぼ同時。
 次の瞬間には、叩き付けられたフォークが地面に大穴を穿ち、砂塵や石礫をそこら中に巻き上げていた。

「ニャー!?」

 ある者は風圧に舞い、またある者は容赦ない礫が叩き付けられ宙を舞う。


「いくぞ」


 ーーシャァァァアア!!
41 ヴァン
 その混乱と砂煙の中、スケートが地面に轍を付ける音を、民家の壁を滑り回る音に気付いた者が幾人いたことか。


「な、ニャ!?」

「行くぞーー往くぞーー逝くぞーー!!!」

「ニャニャー!?」


 まさに縦横無尽、目の前に現れてようやく気付いた一人はすれ違いざまに、接近に気付くことすらなかった一人は背中から袈裟懸けに、また一人更に一人、両手に持ったナイフの餌食となっていく。

 キュッーー、とスケートが元の位置で急ブレーキ。

 砂塵が晴れると同時に、意識を刈り取られた虎先鋒の部下達が通りに降り注いだ。
 唖然とする他ないギャラリーを前に、下手人二人はこの上無いドヤ顔。


「安心せよ、加減はしたぞ」

「残念だったな、あんまりしてないぞ」

「ーーいやどっちだよ!!!」

「え、ちょ、銀さんマジ? マジ処しちゃった系?」

「マジマジ。マージ・マジ・マジーロ(大嘘)」

「マージ・ジルマ・マジ・ジンガ!(純粋)」

「お前らさあ、その協調性あるようで実は無いの止めてくれねえかな!? ホント腹立つわ!!」


 どこまでも人を小馬鹿にした態度に虎先鋒もマジでキレちゃう5秒前である。
 兎も角、あれだけいたならず者も最早虎先鋒一人。
 後は最後の一人を処するのみ、とパーカーの少女がナイフで肩を叩きながら悠然と歩み寄る。


「皆、下がるが良い。後は我一人で十ぶーーふっ!!?」

「すみません、お邪魔します」


 その歩みが止まったのは、村民達より前に出ていたせいで先程の強風に巻き込まれたのであろう、メカクレ少女がいきなり空から降ってきた為受け止めざるを得なかったからであった。
 本気で驚いたのか、不遜な態度が瞬時になりを潜めひたすらにパクパクと口を開閉している。


「銀さん」

 メカクレ少女ははて、と首を傾げる。
42 ヴァン
「…初対面の相手にそう呼ばれる筋合いは無いが、我思うに銀角、故に銀さんである。何か?」

「彼女は、銀さんに何か失礼を働きましたか? であれば指摘してもらえれば、彼女には反省しやり直す用意と心意気があります。ので、遠慮なく」

「そうか、ならば今度からは空から降ってくる際はキャーなりイヤーなり悲鳴の一つも上げるがいい。
我ほどの芸達者ならいざ知らず常人には無言で降ってくる女子を受け止めろ、など無理難題もいいところである。
何より降ってきた本人がまったく脅えていないのが不気味極まりない。
どうか?」


 パーカー女子の腕の中、メカクレ少女は数秒間の瞬順の後、頷いた。


「理解しました。
悲鳴を上げる、という点において彼女は頗る不慣れですが、今後は指摘通り『キャーこのひと痴漢ですイヤー』と恐怖に顔をひきつらせながら銀さん目掛けて落下しますので、銀さんには速やかに彼女をキャッチしていただければ」

「拒否する。
そんな女が降ってきたら全力で回避するわ」

「…何故に?」

「分からんのか(驚愕)」


 本気で首を傾げるメカクレ少女に、驚嘆する他ないパーカーの少女。
 一方、掛け合いの相方を取られて若干寂しそうなケープ少女。
 そして更に、二人を見ていて何故か遠距離恋愛中のおねえさんに会いたくなって思考がふわふわしてきたゴーグルの少女。
 それを遠巻きに見守るエセ侍。


「おお……っ、ま、まさかあの一行は……!」


 村民の一人、高齢ながら事情通で知られる村長が驚きに目を見開いた。


「村長、あの方々をご存知なのですか!?」

「聞いたことがある……遠路遙々、果ての天竺を目指し世直しの旅を続ける僧侶あり……彼の者三人の妖怪を従え、その強さに悪しき者共はすべからく平伏す、と……!」


 おお、と群衆が湧く。
 逆に虎先鋒は、まさか奴らが、と言い知れぬ恐怖に後ずさった。


「て、てめえらは……まさか!?」
43 ヴァン
 応えるように、先ずはフォークを担いだケープの少女が進み出た。
 振り返る村人達に、長老がうむ、と頷く。


「彼女こそ一行の中でも一番の人格者……天蓬元帥・猪八戒ーー!」


「我こそは三叉赫(さんさかく)・金角である(シャンシャーン)」


 …す、とメカクレ少女を抱えたままのパーカーの少女に矛先を変える。

「……彼女こそ一行一番の美丈夫、捲簾大将・沙悟浄ーー!」

「誰がエロガッパか。
我こそは…」

「銀さんは銀さんでは? いぶかしみます」

「鋭双刃(えいそうじん)・銀角であるーーええぃ名乗りの邪魔をするな邪魔を(チャーンチャーン)」


 いよいよ後が無くなったのか、長老は軒下に待避して寛いでいた侍少女を指し、


「……斉天大聖・孫悟空?」

「え? いえいえ、そんなそんな。
私が悟空殿だなどとまさかそんな。
ただの小龍でございまする。
悟空殿ならそれ、そちらに」


 ……あの少女は法衣を着ているから三蔵法師では?
 村民達の白い目に遂には村長も目を逸らした。
 ふふん、と『如意棒』を放り投げた『僧侶』の少女は、軽やかにそれを受け止めぐるんと回し、曲芸の様に腕から肩へ、背中を回って反対の手に、最後にはビッ、と切っ先を虎先鋒に向ける。
 リボンのようにポニーテールに結んだ『経文』を揺らして。
 そのタイミングで両脇に金角と銀角ーメカクレ少女は小龍の隣に座らされていた、不服そうであるーが滑り込む。


「控えい」
「控えい」

「「控えおろー」」

「此方におわす小猿を(ドヤ)」
「何処なモンキーと心得る(嘲笑)」


 ー…うきゃー!!
 ー…わーやめろー!
 ー…痛い痛い痛い!


 途中何故か叩いたり引っ掻いたりの内輪揉めを挟んだが、ゴーグルの少女は気を取り直すように、声高に名乗りを上げた。


「いいかてめえら!
遠からん者は音に聞け!
近くば寄って目にも見よ!
我こそは三蔵法師が一番弟子……ッ且つ!
三蔵法師の意志を継ぎ、往くは最果て西の天竺!
邪魔する奴らはぶっ倒し、悪い奴らもぶっ倒す、天下無敵の無頼僧!


人呼んでーー西行大法(さいぎょうたいほう)・孫悟空!!


不逞不埒は道空けろ、二代目三蔵様のお通りだッ!!」


 気合い一閃。
 文言と共に叩き付けられた如意棒が、恐れ戦く悪逆の虎先鋒を今こそ叩きのめすー!
44 ヴァン
「ーー時に、村長。
事情通っぽく語った内容のほぼ十割が空振りだった件について是非今のお気持ちを」

「「やめてさしあげろ」」

「純粋に興味本意なのが怖いですね」


 暇な三人。
 頑なに視線を合わせないまま無言を貫く村長から、興味津々の少女を引き剥がすー!


〜・〜・〜


「…本当に良かったのですか、母上。
悟空さん達を、彼の王の許へ向かわせて」


 牛魔王の居城、鬼岩城。
 玉座に座る城の主たる牛魔王の傍らには、義理の娘である紅鎧児の姿があった。


「……私だってね、紅ちゃん。悟空ちゃん達を好んで死地に送り込みたいわけじゃない。
むしろ、私が行こうものならーー恵岸を死地にしない為にも、悟空ちゃん達でないといけないの」


 牛魔王と『彼女』が相対したならば、きっと争いは避けられない。

 ー時代は今、変革の時を迎えている。

 妖怪は人を食う、そして人は妖怪を狩る。

 …だが、妖怪は人など食わずとも生きていける。
 …人は、妖怪を捕食者ではなく隣人として愛することが出来る。

 今まで『当たり前の常識』であった両者の関係が新しいそれに生まれ変わろうとしている。
 それ故に、牛魔王を始めとした力ある『王』の妖怪達にかかる責任は大きい。
 どんな小さな火種であろうと見過ごすことは出来ない。妖怪から人に害を為すことがあってはならない。
 多くに望まれた、そして牛魔王自身が願って止まなかった『新ルール』を妨げぬよう、どうか協力を。
 内々に行われた『王』達の会談の場で、トップである牛魔王が皆に向かって頭を下げたのだ。

 ー何を今更、是非もなかろう。
 傭兵達の王、南山大王は豪快に笑って言った。

 ー下っ端はトップには従うさ……アンラッキー。
 独角大王はやや不満げに。

 ー…最近また孤児を引き取ってな。あ、写真見るか写真。
 黒水河神は何時の間にやら子煩悩に。

 ーわっちは黒大王の名代じゃからねぇ。本人が言いそうな所で『はいは〜い』とでも言っておくさね。
 黒ちゃんが来なかった理由? 畑の世話に決まっとろうが、と黄法怪。


 ー……下らん。
 実にーー下らん。


 『混世魔王』。
 それは、牛魔王が唯一恐れた最強の妖怪。
45 ヴァン
『法に…意味など無い。
目の前に迫る剣を前に…法を語るか?
腹を減らした狼にも…語って聞かせるか?』

 ーそれは、乱暴な意見です。
 私達には言葉があります。
 話し合うことで無用な争いを無くせるのです。

『ーー驚い…た。
まるで…‘ヒトの様に’語る』

 ー何を…。

『妖怪の…王が、人間の様な…浅い未来(ユメ)を語ってみせる。
その法(ルール)は…‘どっち’の為の物だ…牛魔王』


(あの時彼女の無感動な硝子の目に映っていたのはーーー私への、失望)


 同調はしないが邪魔もしない。
 恵岸に近付かない限りは。

 それが混世魔王の答えであり、互いに力ある妖怪であるが故に対峙を恐れてきた、牛魔王の限界でもあった。


(悟空ちゃん……)


 『三蔵法師』を受け継いだあの少女であれば、彼女をも人と繋ぐことが出来るのではないか。
 無責任な期待には確信があったが、牛魔王は今更自分を赦せる筈も無かった。


「…母上、お茶でも淹れましょうか。
お茶菓子もありますよ」

「うん、ありがと。
ところで紅ちゃん?


ーー紅ちゃんが連絡も無しに急に夜中に帰って来て今日でもう三日目なんだけど、おうち帰らなくて大丈夫…?」


 がしゃーん、と湯呑みが割れた。
 叩き付けたようにも見えた。
 「出戻ってきた娘の扱いって難しいなあ」と、うし子は思いました。


「ーところで母上、エプロンってどこに置いてましたっけ? 久し振りだから勝手が違ってて」

「いやここに住んでた頃、紅ちゃんそんなの使わなかったし炊事場にも立ってなかったじゃない…スカートも履いたことなかったくらいなのに…。
それが今は、いっつも長めのスカートに質素な若奥様スタイルでさー! ライフスタイル変わるくらい好きなのに今更三蔵さんの何処に不満があるって言うのこの子はー!」

「ーあ、そう言えば母上。天子のことなんですけど今あの子就活中なんですが鬼岩城でインターンとして雇ってもらえたりとか」

「人の! 話を! 聞きなさーいっ!!
都合の悪いキーワードが出る度に露骨に話を逸らさないの!
『どうせ仲直りするけどお互いの関係を再認識したいから夫婦喧嘩』とか羨まし過ぎるから私の知覚範囲内でしーなーいーのーっ!!」


 未だに初恋を引き摺ってる身としては、こんな露骨な当て付け(言いがかり)をされて許せる筈も無かった。
46 ヴァン
 昨今、宅配業務の種類は多岐に渡る。
 ラーメン、丼、ピザ、果ては寿司やら女王様。
 やや高めの料金を支払うことによって誰もが電話一本で手軽にサービスを受けることが出来る。


『お電話ありがとうございまぁす! いつもニコニコあなたの心のポーラスター、ココ一番星屋で〜す!』

「宅配を所望する。
カレー四つ……いや五つ。
甘口二つと中辛一つと辛口一つと、あと一つは適当で良い」

『デリバリーですね、ありがとうございます!
ご住所を承りま〜す』

「住所など、ない」

『は?』

「加えて、今我がいる場所もまた曖昧。
恐らくは人里離れた薄暗い不気味な山の中で、水場の気配すら無く、鬱蒼と繁る暗い森の中からは野生動物達がこちらを窺う気配がするのが甚だ侮りがたい。
目印になるか分からぬが、今我の目の前にある木だが、表面が見ようによっては苦しみと恨みにまみれた人の顔に見えないこともない。どうか?」


 ーーツーッ、ツーッ、ツーッ。


「切られた」

「だろうな」

「諦めんなー、そこで諦めたらあたしら本気で餓死るぞー。の前に野生に返るぞあたしがー、がるるるる」

「ああ悟空殿、お腹が減ったからと言って生木にかぶりついてはいけません」


 うだうだと高い枝の上で微睡みつつもグロッキーの高みを極めんとするリーダーを小龍が下からオロオロと何とか宥めているものの、あれではいずれ雄大なる自然へとIターンかましてしまうのは想像に難くない。
 ーー事態は、急を要するな。
 そう判断した銀角は取り敢えずリダイヤルボタンをプッシュして出前をとることにした。


「しかし、本来であれば我ら、野盗を倒した褒美として酒池肉林の歓待をこれでもかとお見舞いされていたはずでは?
あそこまで迷惑そうに追い払われるとは、甚だ侮りがたし」

「恵岸の民は外来者と関わるのを極端に嫌います故……、村人達にとっては野盗も私達も等しく余所者で厄介者、ということなのでしょう」

「…甚だ理解しがたし」

「様々な国がある以上、人の有り様もまた多様なのです。受け入れねば」
47 ヴァン
 ぷぅっ、と膨れ面になる金角を、小龍は困ったように笑いながら宥める。
 しかし一行の食糧事情が逼迫しているのを自覚していた当の小龍からしても、「歓迎の宴とはいかずとも数日分の非常食くらいは」と期待していたただけに、「用が済んだのだから出て行ってくれ」の一言で済まされたのは無念でならなかった。
 しかし、村人達のあの脅え様。
 排他的、の一言では片付けられない、何やら退っ引きならぬ事情を感じたのもまた確かであった。

 ーのしっ


「それもこれも、貴女達が無闇に野盗ごと家屋を破壊したことで村人から迷惑がられたことが原因では?」

「……そうですねぇ。
誰かさんが無意味に罪も無い村長を弄り倒したことでそれが助長した可能性もあります」

「…極悪非道な…」

「お前やがな」

「‘彼女’が、ですか?」


 金角が呆れたように小龍の顔の真横、肩の上に乗っかった顔を見ている。
 そちらを向けば、同じく村人達に追い出された少女が前髪で隠れた片目でこちらを覗き込んでいた。


「しゃおりんさん」

「しゃおりん、は愛称なので、さんは要らないかと」


 何というか、距離が近い。
 何故か行く先々で婦女子をメロメロにしてしまい、一人の狩人へと変じさせてしまう小龍にとってこの程度のスキンシップは日常茶飯事であったが(本人の意思は抜きにして)、目の前の少女の目にはそういった下心だとか色気付いた感情は皆無。あるのは純粋な興味だけであった。


「彼女は、何か間違えたでしょうか? 忌憚の無い意見を聞かせて下さい」

「いえ、あの」

「聞かせて、聞きたい」

「ですから……」

「じーっ、じーっ」

「……金角殿であれば、より正直にお答えできるかと」

「ほぅ」

「シャオりん!?」


 ぎょっ、と目を剥く金角に向かって、目を輝かせた少女がすかさずにじり寄っていく。
 金角はひゃあ、と悲鳴を上げながら逃げ出した。


「金さん、金さん、金さん」

「ええい来るな、寄るな、近付くな! 裏切ったなシャオりん、裏切ったな! この恨みはドーナツ五個でも忘れないぞ!」


 スキンシップへの羞恥から逃げ惑う金角を見送りつつ、多分ドーナツ六個くらいで許してくれるだろう、と踏んだ小龍は次の町でドーナツを買ってあげることにした。
48 ヴァン
「ただまー(ただいま)」

「銀角殿。して、首尾の方は?」

「駄目だった。こちらがどれだけ困窮しているかこんこんと聞かせてやったというのに、やはりマップアプリに登録すらされてないド田舎では届けようがないのも致し方無し」

「問題はそこではないような気もしますが」


 さぞ性質の悪いイタ電だったことだろう。


「しかし、あいつ…」


 あいつ、と視線を向ける先には遂に追い付かれ腰にタックルを受けて悲鳴を上げながら顔面から地面に倒れる金角、とそれをやった少女、那胡が開けた原っぱで組んず解れつ戯れていた。


「誰でもいいのか」

「その言い方は些かどうかと」

「距離感も気持ち悪い」

「それは確かに」


 ここも問題はそこではないのだろうな、と思いつつも小龍はうんうんと同意した。
 追い出された者同士、道すがら最初はよそよそしかった那胡であったが、ちょっと声をかけて気遣ったり、二つ三つ言葉を交わして、気が付いたら‘ああ’なっていた。


「情が移り過ぎるのも良くない。追手こそ無くなったが、『三蔵法師』の名前を聞けば目の色を変える妖怪はまだまだ大勢居る。
それに、前三蔵が『天竺に価値無し』と高らかに唱えたせいで肩身の狭くなった神仏からの嫌がらせとか、な」

「どちらにせよ危険な旅。
戦いに身を置けぬ者にとっては、むしろここで別れた方が安全と言えなくもないですからね……」

「ーーそれもこれも、取り敢えず那胡に話を聞いてから決めればいいんじゃない?
放り出すのもそもそも無責任だってば」


 ひょい、と二人の側に降り立ったのは先程まで木の上の人であった悟空だった。
 お腹が空いてふて寝を決め込んでいたのかと思えば、直前まで触っていたのであろうスマホを袖に放り込んでいる。
 …どこか機嫌悪そうに。
 触れない方がいいだろう、と目と目で銀角と小龍は合図し合い、なに食わぬ顔で話に水を向けた。


「左様であるな。
流石は悟空、我らがリーダー。いぇーい、ハイタッチしろハイタッチいぇーい」

「では早速話を聞きましょう、そうしましょう。
…悟空殿何か飲みますか? ああ、すみません生憎水しかありませんけど」

「君ら気遣い下っ手くそだな。
…いいよそういうの。
大丈夫大丈夫、あたし元気!
金さーん、那呼ー、ちょっと来てー!」
49 ヴァン
 手を大きく振って二人を呼ぶ悟空は、ここ最近になって随分背が伸びた。
 といっても、他の三人に比べ成長が遅く長らく出会った頃のままの少女であった彼女が、ようやく年齢に追い付き始めたといった妥当なものではあったのだが。
 だが今のように何かを誤魔化したり、ふとした所作から大人びた印象を滲ませることで、何とはない寂しさを、


「どうしました、ごっくん」


 ーーごっくん。


「あ……ごめん、那胡。その呼び方エヌジー。
けど愛称で呼んでもらうのは嬉しいから、他のを考えてほしいんだじぇ!」


 なにもかにもが昔のままではないのだと、どうしようもなく悲しくなってしまうのだ。
 人は悲しみを忘れない。
 忘れられないから。


「気に入りませんか。
では素敵なニックネームを新たに考案しますので、それまでは……三蔵さん、で」

「にゃはは……親父と同じ名前ってのも、複雑だなあ……」

「彼女は三蔵さんのお父さんに会ったことがありませんし、みんなと同じだと面白味もありません。
彼女にとって三蔵さん、は三蔵さんだけしか知らないので」

「正式にはまだ名前継いでないんだけど……。
ま、まあいいや。
ところで……え、二人なんか、きちゃなくない?」


 顔をしかめて金角と那胡の全身をじーっ、と眺める。
 数分前と比べて、二人は土だらけでところどころ草がくっついていた。


「つい、彼女も金さんもプロレスごっこに興が乗ってしまって」

「子供か!」

「こやつなかなか面白いぞ。なー?」

「ねー?」

「仲良しか!」


 追いかけ追いかけ回される内に友情が芽生えたらしい。
 後で洗濯をさせられる小龍は最早諦め顔、銀角ははあ、と大きく溜め息をついて片手で額を覆う。


「…女同士の友情を邪魔して悪いが、那胡、お前これからどうするつもりか」

「どう、とは? 銀さん」

「身の振り方を問うている。
我らの目的地はこの恵岸の中心部、かの混世魔王が居城」
「端的に言えば」
「「危険地帯である」」


 何気、久方ぶりのユニゾンである。


「ーー知っています。
そして、彼女の目的もそこにあります」


 三蔵さん、と那胡が悟空を見据える。
 そこに、一切の迷いは無かった。


「彼女を、混世魔王に会わせてほしい」


 その言葉に一瞬驚き、しかし、仲間達の顔を順に見回し、確かに頷くーー。
50 ヴァン
「うんーーーーそこまでの道、分かんないけどねっ!」


 我ら五人
 等しく腹ペコ
 迷子也ーー。


 ーードルルンッ!


「こんちゃーす、ココ一番星屋でーす」


 来たんだ、出前。
 木々の間を縫うように現れた三輪スクーターに時が止まったが、跨がっていたエキゾチックな少女はスクーターから降りてニヒルな笑みを浮かべていた。


「腹へりの迷子さんに、うちの激ウマカレー……デリバリーだゼ?」

『カ、カレー屋さーん!!』


 ーーその後、親切にもカレー屋さんは人里まで案内してくれました。
 ーーカレー、美味しゅうございました。


〜・〜・〜
51 ヴァン
 ーーーその妖怪は、弱かった。

 誰よりも体が脆弱だった。

 耐え忍べるほどに心が強くなかった。

 致命的だったのは、それでいて妖術の一つも使えなかったということだ。

 だが本人としては、それが原因で虐げられようと軽んじられようとも、一時の間、母の腕の中で涙の夜に耐えれば我慢出来たし、それでいいと諦めていた。

 最悪だったのは、その少女は妖怪の中でもとびきり位の高い家に生まれてしまったということだーーー。


〜・〜・〜


 その街は、一言で言えば寂れていた。


「ここが恵岸の中心とは」
「城壁どころか柵も無い」
「「ぶっちゃけ田舎の村レベル」」

「き、金角殿、それに銀角殿も。
確かに、些か賑わいには欠けますが人の目もあります故、もうちょっと声を落として……」

「第一‘村’人を発見、接触を試みる。
こんにちは、彼女は西の那胡。
死んだような顔をして今日はどちらにお出掛けですか?」

「…ああもう那胡殿が合流したせいでフォローが倍忙しい!?」


 慌てて小龍が那胡の口を塞ぎに動いたが、通行人は那胡をちらりと一瞥し、インタビュアーのマイクよろしく差し出された右手を煩わしそうに避けると足早に距離を取って行った。
 いぶかしがる那胡を余所に、小龍はむしろ胸を撫で下ろしていた。


「照れ屋さんだね。
御近所付き合いというものが希薄になっている昨今、はたしてあの人がこのコミュニティーで自分の居場所を確保出来ているのか彼女は心配になるよ。
ねえ、しゃおりん?」

「那胡殿はまずご自分の安全を確保するよう努めた方がいいのでは?」


 石を投げられて追い出されるのもそう遠くない気がしてならなかった。


「……道行く皆が同じ顔をしている」
「どいつもこいつもすべからく」
「「「停滞し諦めた者の顔だ」」」

「…おい、然り気無く我と銀さんのユニゾンに割り込むでないわ」

「金さんと銀さんは、たまにそうやって二人だけで仲良くするのがズルいと思うよ」

「この道中で更に図々しくなったな……」

「ーー停滞して、諦めてても生きていけるんだよ。
『強い誰か』に寄っ掛かってればね」
52 ヴァン
 悟空は一連のやり取りを気にすることなく歩を進めていた。
 その目に映るのは、恵岸の中心の中心、村の中にあってとびきり異質なピラミッド状の廃遺跡。
 無敗の魔王、混世魔王の居城である。


「壁も柵もいらないんだよ。
一番安全な場所に擦り寄って建てた街なんだから。
……ああ、ほんと」


 ーーーイライラする。
 怒気を振り撒きながら肩で風を切って歩く悟空に、通行人達は怯えたように道を譲るが、それを感じ取れない那胡は気にすることなく悟空の背を追う。
 その背に危ういものを感じていたのは、昔馴染みの三人の少女だけであった。


〜・〜・〜


 そう長くない中央の道を突っ切り、眼前にまで迫った魔王の居城は、途中から気付いてはいたが、


((((ボロいなー))))

「……これが所謂ゴミ屋しきふがふが」


 心の中に留めた四人と違いすかさず率直に述べようとした那胡であったが、今度は小龍のファインプレーで口を塞ぐことに成功した。


「……え、本当にまだ住んでんの、魔王?
仮に魔王住んでたとして、使命感に燃える勇者も訪れるのを躊躇うレベルのきちゃなさなんだけど」

「甘いな、背だけ伸びてしまった悟空」
「鈍いな、一部分が小猿」

「ひっぱたくよ?」

「中に魔王がいるかどうかなど」
「こうして目したのみで分かろうというものよ」


 どうやら二人は、中にいるであろう魔王の強大な妖力を感じ取っているらしい。
 見てくれだけに捕らわれた自分を、悟空は恥じた。


「確かに……見るからに身分の高そげな女性が涙目になって遺跡の掃除をしていますが、魔王に命じられて掃除をしているかどうかまでは……」


 二人を見直しかけた自分を、悟空は恥じた。
53 ヴァン
「あら……?
あらあらあら、まあまあまあ」


 こちらに気付いたその女性は、三角巾とマスクを外し、慌ててぱたぱたと五人の元へと駆けてきた。


「旅のお方? ようこそ遠い所からおいでくださいました。
ああ、それに、どうも申し訳ございません。折角訪れていらしたのに、お恥ずかしいところをお見せしてしまって。
これでも多少はマシになったのですけれど、何分わたくし一人では手も足りなくて……うぢゅ〜……」


 恥ずかしげに項垂れる女性を前に、あ、いえいえお構い無くと否定する悟空。
 思えば、魔王とか神仏とかと相対して「あれ?」ってなったのは一度や二度じゃ足りなかったりした。


「それでお姉さんは、見たところ混世魔王の側近さんなのかな?
……その耳」


 頭と一緒に項垂れていたネズミ耳を指差し。


「は、はい。
ご紹介が遅れました。
わたくし、混世魔王様のお側仕えをしております、地湧(ちよう)と申します。
地湧夫人などと呼ばれてはいますが、しがない一人の鼠妖の身……どうぞよろしくお願いいたします」


 恭しくお辞儀する地湧夫人は、これといって妖力も感じられない、戦闘に無縁な妖怪といった印象であった。
 絹のような黒髪と、泣き黒子と、割烹着を押し上げるふくよかな体つきと……。
 ーーーぶっちゃけ団地妻感の方が凄くてあとはどうでも良かった。


「して、この度は混世魔王様にお目通りを? ーーーうら若き三蔵法師様」

「……うん。
西行大法・孫悟空。
平和の使者として、曇り無き眼で見定める為、混世魔王との謁見を望むよ」


 悟空の装いから全てを察していたのであろう地湧は、困ったように笑いながらも、「こちらへ」と一行を先導する為、遺跡の石段を登り始めた。
 さすがの那胡も緊張し始めたのか、ごくりと生唾を飲んでいる。


「ーースゴいよ、後ろ姿まで人妻感が半端ないよ。
彼女には分からないけど、ヒトヅマニアにはもう辛抱タマランわーこれーといったところかな。
ねぇ、銀さん?」

「我、そういう業の深い癖(へき)は無いから分からんわー」

「目の前でふりふりしているお腰をじっと熱心に見つめていたのに?
ーーー実は……お好きでしょう?」

「おいこいつそろそろウザさ極み過ぎだが」


 どういうメンタルで魔王と臨むか分からなくなってきた悟空だった。
54 ヴァン
 さて、一般的には魔王、と聞いてどのようなイメージを思い浮かべるものであろうか。


 邪悪な力の象徴たる角に漆黒の夜を思わせる黒マントーー

(ボサボサの髪に昔学校で使ってたであろうくたびれた小豆ジャージ)

 切れ長の瞳はこの世全ての憎悪に溢れーー

(垂れ目気味のおめめは眠そうにうろん気で)

 威圧感を漂わせながら玉座にふんぞり返り、こう言うのだ……‘魔王からは逃げられない’ーー

「ガチャ沼から…は、逃げられない……逃げられ…なかった……」

(ーー誰だあの玉座で布団被ってるニートは)


「ああ、混世魔王様……あの日、あの日この地湧めとした約束はもうすっかりお忘れになってしまわれたというのですか?
ご飯は一日三食きちんと食べる。
ゲームで徹夜などもっての他。
そして課金は一月五千円まで……なのに。
この大量のりんごカードはいつの間に購入を?
その目の下の隈は?
わたくしがご用意した朝食もすっかり、冷め、きって……うぢゅ……うぢゅ〜……!」

「……捨て、置け。
余に…気遣いは、不要」

「放っておけましょうか!
いくら御身が無敵の魔王なれど、だからと言って生活習慣病にかからない保証などどこにもありはしないのですよ!?
あれは怖いのです、恐ろしいのです! 鬼岩城での健康診断の折、お医者様も仰っておられたではありませんか!
どうか、どうかお聞き届けを!」

「……聞けぬ……魔王は…恐れなど、知らぬ」

「うぢゅ〜っ!!」

 遂にはさめざめと泣き出してしまう地湧夫人。まるきり、出不精で不健康な我が子を心配し心を痛める人妻…母のようであった。
 ちなみに件の健康診断だが、心配した医者からこんこんと説明を受ける間顔を真っ青にして口を覆っていた地湧の横でこの魔王、いい加減話長いなこいつ、と自分の身体の話なのにちょっとイラっとしていた。
 その際もジャージでの登城であったが、そもそもうし子の回想シーンにおいても彼女は小豆ジャージで会議に参加していた。突っ込まれなかったのはそれが毎度だったからだ。
 諸々においてこの魔王、自身に無頓着でテンションが投げっ放しアンダースローであった。
55 ヴァン
「……混世魔王?
合ってる? え、ほんとに?」

「いか…にも。
余が、混世魔王…だ。
三蔵法師…何を、求める。
何故…来た」


 スマホを脇に置いた辺り真面目な話をしても良さそうだ、と悟空が居住まいを正し、近付きながら話しかける。


「それを聞くのはこちら、だよ。
ーー牛魔王の名代として問う。
混世魔王、あなたは本当に恵岸を治めるつもりはあるの?」

「外の奴らが望むなら…余は王なのだろうさ」

「そういうことじゃなくて、管理し栄えさせる意思はあるのかってこと!
ここに来るまでに見させてもらった、村々は疲弊しきってるし、国境ではいざこざが絶えない。
みんなギリギリの中で生活しているのに、あなたは何もしようとしない」


 賛同しないのであれば、それもまた仕方のないこと。
 だが、その上で恵岸をどうするつもりか。
 それが、牛魔王にとっての懸念であった。


「ーーだが、滅びはしてない。
余がいるから…だ」


 面倒そうに目を向ける混世魔王。


 ーーーその視線に足を縫い付けられた。


 これ以上動けない。
 動いてはいけない。
 彼女の目と、玉座に立て掛けられた刀がそう言っていた。


「見切った…か、我が間合い…を。
……牛魔王、か?
それとも…勘か?」

「例え誰かに聞いてなくても、命が惜しければこれ以上近付かないんじゃないかな……っ」


 ーー混世魔王は、妖術を用いない稀有な妖怪である。
 魔王ともなれば、絶大な妖力とそれによる術が他の妖怪達と比べ大きなアドバンテージになっているのが一般的な通例だ。
 ならば何故、そんな中彼女が牛魔王を差し置き最強の妖怪の称号を欲しいままにしているのか。

 ーー混世魔王は純粋に、その剣技において最強なのだ。

 十歩、その圏内に入った強者が、斬られたことにすら気付かず血の海に沈んだ。
 十人、混世魔王を取り囲み数に物を言わせた無頼共が、刀の一振りで残らず地に伏した。

 誰が呼んだかーー……‘十歩必殺’。

 間合いに入った者の生存を一切許さぬ、傲岸不遜な強者の結界。


「被害は、国境より内には無い。
怖い…のだ。
余に近付けば近付くほど、そこが己の死に場所となる…それが分かるくらいには、賊どもも賢い」
56 ヴァン
「……盗賊なんて、好んでやるわけがない!
みんな精一杯で、どうしようもなくて、それでも生きてる!
なのに、王であるあなたはずっと拳を握り締めたままーー!」


 誰の手も取らず、誰も寄せ付けようとはしないの……?


「……良き、対話…だった。
……地湧」

「御意に……。
ご一行様、我が主はお疲れです。
客間へお通ししますので、今夜はどうぞゆるりとお過ごしください」

(そして明日にはお帰りください、と。……やっぱり決裂か、知ってた)

(さすがは悟空、棒を振り回さない交渉もお手の物であるな。……お陰で今夜の宿‘は’手に入った)

(悟空殿、抑えて! 暴力はいけませんーーー棒だけに!)

(うっさいよ馬鹿、魔王にも仲間にも暴力は振るわないよ失敬な!)


 話は終わった、とばかりに促すと、地湧がやんわりと追い払うように案内を始める。
 だが一人だけ、那胡だけはその場から動こうとしなかった。
 地湧が困り顔で連れだそうとするのを、混世魔王が「良い」と手で制す。


「混世魔王、彼女は西の那胡。
彼女はあなたにお話があります。
ところであなたの国はとても良い国ですね。
将来はこんな国に住みたいなあと彼女は思いました」

「凄い、な…余でも世辞と分かる、ぞ」

「そこで相談です」


 無表情のまま、練習していたのだろうか、妙に堂の入ったしずしずとしたお辞儀をして見せる。


「彼女を、あなっ………………この国に、住まわせてください」


 噛んだ。


〜・〜・〜


「前の持ち主が数年前に家具も放置したまま出て行ってしまって……」

「夜逃げか」
「成る程」

「と、とにかく、家具を買い直す必要もないのでお得ですよ? 多少、掃除するのに手間がかかるでしょうが……」

「多少?」
「これが?」

『うっわ台所に見たこともないでけえ虫がいる怖い!』

「…………うぢゅ」

「二人とも! それに悟空殿はいつの間にそんな所に」


 案内された家は部屋数も多く作りもしっかりとしていたが、何分放置されていた時間が長過ぎたのか、降り積もった埃が絨毯として敷き詰められ今では住人の代わりに虫とかが住み着いていた。
57 ヴァン
 でも、例えそんな家でも……。
 ギシ、と滑りの悪い窓を押し開けると、この家からは中央にそびえるあの不気味な遺跡がよく見えた。


「彼女は、此処が気に入った」


 那胡の呟きには、新しい生活への期待が、端的にワクワクだとかドキドキが溢れていた。
 彼女は遂に、念願叶って恵岸に持ち家を手に入れたのだ。


 何はともあれ先ず掃除。
 しかしこの広さで一日では無理となると、リビングや台所、自分たちが眠ることになる寝室が最優先であった。
 この段階で悟空達四人は、混世魔王の所で世話になるはずの自分たちがいつの間にやらこの廃屋に泊まることになっている展開に首を傾げたが、


「我が家の初めてのお客様が泊まるお部屋…精一杯綺麗にしてご提供しなければバチが当たるというもの…」


 と、何より先にせっせと客間の手入れをしている那胡を見ていると、誰が言い出すでもなく分担して掃除を始めてしまったのだった。
 やっとの思いでノルマを終えたのが夜もとっぷり暮れて日付が変わろうかという頃。
 綺麗になりつつあるホームを前に、自分たちの満足できる仕事を終えて顔を見回し合い、


「ここで新情報をお伝えする」


 那胡が四人の前に立ち、微笑みながら口を開いた。


「ーーー彼女は米の炊き方も知らなかったりする」


 ーーー満足の後には絶望がやってきた。


「どうすんだよこれ……お店なんてこんな時間どこももうやってないし、恵岸ってコンビニが存在しないらしいってのに」

「腹が減った」
「もう動けない」
「「助けてシャオりモン」」

「猫型ロボより一周回って電子モンスターですね。
し、しかし、私の荷物にも食料なんて一つたりとも残っては…」


 ぽろ、と。
 カップ麺(コンビニで見掛ける類いのお高いアイツ)が一個だけリュックからこぼれ落ちた。
 欠食児童達は目の色を変え、対する小竜はサーっと顔を青く染めた。


「…何を隠そう、彼女はお湯を淹れる達人だったりする…!」

「ちょぉ!? これ、これだけは、これだけはどうか! 実はこれ限定商品で再販の予定も無く、賞味期限ギリギリまでとっておこうと楽しみにしていた至高のカプめんでッ!」

「銀さん確保だぁ!!」

「承知!」
「足止めは我が!」

「こんなときだけ連携凄いな貴女方!!」
58 ヴァン
 絶え間無い猛攻に小竜が遂に刀を抜いた。
 何処までも力の出し所が誤っている一行であった。
 ふと、那胡が窓際からご近所を見回し、それに気付いてひょいっと悟空も何とはなしにそれに倣う。
 互いに反対方向から見回して中央、視線がぶつかり合うことで一旦行為を区切る。


「那胡、何か考え事?」


 首を傾げる悟空に、ゴツン、と那胡がヘッドバッドをかました。


「ーーー何で!?」

「ノリで?」

「相変わらず分かり辛い!」

「ぶつかり甲斐のある良いおでこだね」

「そっかありがとう!」


 きっと真面目に付き合ってたら永遠に理解出来ないタイプなんだなあと、付き合い方が分かってきた悟空だった。


「…気になってた。
彼女達はこんな時間に凄く騒がしくしてるのに周りは誰も文句を言わない。
それどころか、明かりが一つも点いてない。
誰も夜更かししてないのは、起きてても何もすることがないから。
何処にも行く場所が無いから」

「まあコンビニすら無くて酒家の一つも無いんじゃ仕方ないかもねぇ」

「酒家…居酒屋」


 悟空のぼやきを反芻するように、那胡が頷く。


「彼女のやるべきことが分かった」

「お湯の準備?」

「それもあった」


 そっちじゃなかったのか。
 いそいそと台所に消えていく那胡の何処か浮き足立った背中に、自分たちがこの地で何をすべきか、その目的が見えてきた悟空だった。
 あとカプめんだが、三人が刃傷ものの喧嘩をしている横で那胡とこっそりいただいてしまったところ、シャオりんが凄い目で見ていた。
59 ヴァン
〜・〜・〜


 ー…強くなるから。

 母の死を経て、虐げられるその者を目の当たりにして、妖怪は誓ったのだ。
 誰よりも、あの寵児と名高い牛魔王よりも強くなってみせるから。
 だから、

 ー…だから…いつか、余の…!

 ……返答は、無感動な眼。
 翻された背中。

 この手を取ってくれる者が居ないなら。
 ならば余が手に執るのは鋭き刃だ。

 誰にも信を置かれぬのなら。
 ならば余は剣をこそ側に置く。

 剣こそが、真に拠るべき力の在処なればこそ。

 誰にも負けなくなった代わりに、側に誰も居なくなったその妖怪は、何故強くなりたかったのかも、何故今更においてこんな夢をまた見るようになったのかも分からぬまま、どう咀嚼すればいいかも分からぬ在りし日の情景を、ただ流し見る…ー

〜・〜・〜

 ……翌日、那胡の思い付きを混世魔王に伝えに行く。


「…くぅ…くぅ…」

「……こ、混世魔王様は『特に許す、善きに計らえ』と仰せです」


 今日も今日とてやる気ゼロなジャージ魔王(玉座に肘突いてガチ寝なぅ)に代わり、来客居るのに醜態晒す主に涙眼赤面しつつも隣に控える地湧から許可をいただく。
 彼の魔王、地湧さんが泣きながら実家に帰る前に生活態度を改めるべきと一同の心が一つになったのは言うまでもなし。


 それはさておき、


 この集落めいた村擬きにも長なる人物は必要であり、その任を任された少女がいた。
 そう、少女。
 誰に期待されたわけでもなく、回って来たお鉢を誰かに押し付けるほど大人にもなれなんだ哀れな少女。
60 ヴァン
 だがどうということはない。
 いずれ、自分も此処を捨てるのだろう。
 皆(ダレカ)がそうしたように、皆(ダレカ)がいずれそうするように。
 少なくとも恵岸さえ出なければ、混世魔王に生存を赦されている内は、ただ生きてはいられるだろう。
 嫌なことも我慢すればいい、ただ流してしまえばいい、自分も流されている限り、二度と逢うことも無い些末な事ばかり。


 ーザッ…。


「ーーいらっしゃったな」

 ー…メイドが一人。

「ーーそしてこんにちはだ」

 ー…メイドが二人…!?

「「歓迎するぞ、お嬢様よ」」

 ー…『酒家・冥土天国』此処に開店…ッ!!

(何ですの、コレ)

 些末と断ずるには些か大きすぎる問題が、今彼女の前に躍り出てきた。ワッショイワッショイと。
 混世魔王、が面倒臭がって地湧から、新しい住人が越して来たので善くしてあげてほしいとの文を直々に賜ったので一言挨拶に来てみれば、何だコレ。
 店名からして、結局のところイイ所なのかヤヴァイ所なのかはっきりしてもらわないとこちらは心構えすら満足に出来ない。
 よって、凍り付きそうになるのを必死に堪えて退散の姿勢に移る。


「あ、新しく越してきたというのは貴女方、ですわよ、ね?」

「ふむん、正確にはこれで全員ではない」

「中にまだ何か居るんですの!? …き、今日のところはご挨拶だけ、私、こちらで長をしておりますの。何かあれば、何かあった時だけ、訪ねて来て下されば。ではこれで!!」

「逃がすと思うてか、お嬢様よ」

「い、いやー! 放してぇぇー!?」


 逃げようとしたらローラースケートで瞬時に近付いてきたメイドに羽交い締めにされた。
 文面からして恐いが瞬間移動して拘束してくるメイドとかいくら可愛くても恐怖しか感じない。


「お、お金!? お金で済むなら差し上げますから! 出せるだけ出しますから!」

「金を払いたいなら」
「まずは我らの」
「「接客を受けてからにしてもらおうか」」

「嫌ですわよなんですのコレ強制イベントですの!? 貴女方の接客ってテロか何かの隠語ですの!? 誰か、誰かー!!」


 呼んでみて気付く、誰かが慌てて扉に鍵を掛ける音と、恵岸の民の排他性(薄情さ)。
61 ヴァン
(ですわよねー!? 本来私だって無視りますもの、こんな珍事!)


 結局のところ、抵抗虚しく怪しげなネオンの光る店内へと連行されていくより他ないのだった。


「らっしゃせー」

「ヘイラッシャイ!!」


 間違ってる。
 レジの前から微動だにしないあのメイドも、厨房から身を乗り出して威勢よく声をあげるハチマキ巻いたあのメイドも、例え接客業として正しかろうと方向性が完全に迷子になっている。果たしてここはコンビニなのかはたまた居酒屋なのか、もっと別のメイド在住異空間か。


「して、ご注文は如何する。お嬢様よ」

「お願いです…おうちに帰して…!」

「我が儘なお嬢様め。とりあえずお冷やを持ってくるゆえそれまでに決めよ」

「誰か! ねえ誰かせめて話の通じる方を! お願い!」


 シャー、と厨房に寄って滑ってくる銀角と、フォークを担いだ金角がそれに続く。
 ハチマキ締めたメイド擬きこと悟空が、客席に聞こえないよう話しだす。


「ねえ、あれ大丈夫なん? 思っきし嫌がってるようにしか見えんけど」

「弱ったな。あのお嬢様、どうやら我らの接客に不満在り、と見た我金角」

「もっと見目麗しい店員を出せ、とそういうことであろう、と断ずる我銀角」

「そっか、そっちか。来店自体不本意なわけじゃなくて安心した、私悟空」


 むむむ、と検討違いの判断に頭を悩ませる三人。


「…痛し痒し、故に致し方無し。初日故にと出し惜しんでいた最終兵器、今がお目見えの時と見るが、如何に?」

「危険だが端から見る分には愉快でしかない故、無問題。それ悟空、そうと決まれば厨房戻ってチラッと太股でも晒して来るが良い」

「えぇぇー……。もうっ、こんなサービス滅多にしないんだゾ☆」

「「キっツい」」

「泣くまでひっぱたくよ?」


 怒り肩のニセメイドこと悟空が厨房に引っ込んで数十秒後。


「うぅ…お願いですわ、次来る方はもっとまともな方を、神様魔王様仏様…どうか…!」

「ーーお待たせ致しました」


 ー…キラキラキラキラ…!


「ご注文の『執事』です…アァン…」

「ほら来たもっとヒドイの!! 頼んでもいない注文と一緒に!!」
62 ヴァン
 執事服の小竜の登場で村長が遂に咽び泣いた。
 艶かしく服をはだけさせてくるという視覚的暴力を伴わない分、さっきまでのメイド某の方が何倍もマシだった。
 過去に悟空への片想いを拗らせた結果、師事してはいけない人物に教えを請い、対女性必殺『悩殺☆シャオりんキッス』を体得した小竜。
 その威力たるや、女性ならば上はお年寄りから下は園児まで、ありとあらゆる女性を虜にする魔性の妙技。
 欠点はご覧の通り、残念(バカ)になってしまうことである。
 更に残念なことに、千里という尊い犠牲の上に封印した筈だったこの禁忌技法、封印しきれなかったのか未だ色々吹っ切れていなかったのか、悟空のセクシーショット等うっかり垣間見てしまったが最後、ご覧の通りなのである。


「村長さん…黒い執事とめーさんの執事、本当にイケナイ執事はどっち…?」

「そ、そんなの、どっちも水嶋ヒ○ですわよっ!」


 背後から抱きすくめようとする小竜を、村長が必死に引き剥がそうとする。


「正解は…ー」


 だがそんな細やかな抵抗を嘲笑うかのように手首を掴まれ、俯く顎を片手で持ち上げられた。


「ー…私です」

「はぅ……っ!?」


 ああそんな……何で……こんなオモロイのに……なんて、美しい……。


「墜ちたな」

「少しは持った方か」

「ぷっ…く…っ……だぁはははははははははは! ひィー、腹、腹痛い! フッキンガム倒壊寸前!」

「まあ、あんなに草を生やして」
「お里が知れましてよ」


 当時は混乱の坩堝であったものだが、慣れればただの一芸として認可している辺り彼女らも逞しくなったものである。
 昔と変わらないのは、ただただ小竜一人が報われないままであるということなのだと、爆笑している坊さんメイドは未だに微妙に理解していない。
63 ヴァン
〜・〜・〜


 …『村長強制拉致接客事件』より数日。
 大方の予想に反してぽつぽつと、その酒家は客足を伸ばしていた。
 村長のレビューが意外にも好評だった為である。
 夜は酒家、昼は昼で軽食目当ての溜まり場に、と。
 招かれざる隣人達はムーブメントに乗ることに成功したようであった。

 …だがそれも一過性のもの。

 いずれは彼女らも根を上げて、故郷へ帰っていくだろう、と地湧が流し見ているのは、強引に押し付けられた業務報告書。
 あくまで作業として最後まで目を通し、


『おしぼりで顔をふくしょう動はたしかにあらがいがたいけれど、された店側は複ざつな心きょうになるのでやめてほしいなぁと思いました。地ようさんはどう思いますか? ー孫悟空』


「……」


 ー…サラサラ…


『したことが無いので解りかねます。 ー地湧』


〜・〜・〜


「メニューを充実させてほしい、という十件目のお便りをいただきました。やはり昼メニューは『誰それの気まぐれ某』で騙し通せたとして、夜メニューの少なさが話題に上がるのも遠からんことと見越してはおりましたが…」

「あれな、みんなもう気付いておるぞ。
名前のとこ変えただけで毎週同じ物出しておるの。
ともあれ、肝心要の料理人が『具無しの天津飯』とか『卵だけ炒飯』とか『回鍋肉の肉抜き』とか微妙なメニューしか体得してない状況では致し方無し」

「悪かったなー? 悟浄がいっつもいっつも変なんばっか作ってたから記憶にこびりついちゃってんの!」

「何故八戒のメニューが記憶の片隅にちょびっとでも残っていなかったのか…」

「…難しかったから覚えらんなかったの!」
64 ヴァン
 …楽しそうだなぁ。
 俯瞰して眺める那胡は、簡単にそんな感想を抱いた。
 テーブルを挟んで、ああでもないこうでもない、もっとバリエーションを、もっとおシャンティを、そもそも『焼く』と『炒める』の違いとは一体…!?
 話が脱線してきた。
 こちらも一息入れよう、と観察をやめてジュースをチュー、と吸う。
 うむ、グレープフルーツ。
 すっきり爽やかである。
 …で、だ。
 そも、自分は何故彼女達とつるんでこんなことをしているのか。
 混世魔王に謁見し、彼女の国民となること。
 言ってしまえば、那胡の目的は既に果たされていた。
 そのはずだが…何故だろうか。確かにそうなのかと問われたら自信がなく、そもそもそのような目的を持つに至った経緯が、那胡にはどうにも思い出せない。
 それだけではない。那胡はもっとたくさんのことを忘れている。大事なことを覚えていよう、そう思い続けるあまり忘れてしまったことがたくさんある。そう確かな確信があった。
 だから『何故』と那胡は問い続ける。
 問い続けた結果、那胡はぼっちになった。
 那胡のような生き方は、何でもかんでもに何故を問う性格は世間では受け入れてもらいにくいらしい。煩わしいと思われるようだ。
 昔、至ったはずの結論だ。忘れていたのは…それほど大切ではなかったからだろうか。
 これまでずっと何故と問い続けてきた。
 飽きもせずずっとぼっちで旅を続けてきた。
 何故、何の為…?


「こら貴様」
「堂々と居眠りとは」
「いい度胸であるよ」

「「台詞を先回りした上、居直るな」」

「彼女的には二人のパターンが読みやすいのがいけないと思うよ」

「「甚だ侮り難し…!(ギリィ)」」
65 ヴァン
「二人のそういう予測しやすくて、からかいやすくて、ちょろいところ、すごく可愛いと思うよ」

「「そ、そういうこと言うの、止めよ」」

「照れんなや」


 柄にもなく狼狽える二人に、爪楊枝を咥えた悟空は苦笑。
 そう言えば、旅人という意味では彼女らは恐らく那胡より先輩であろう。ぼっちでないところからも明らかである。
 聞けば、思い出せるだろうか。
 彼女らの旅の目的を。


「三蔵さん」

「んー、なんぞ?」

「三蔵さん達は、何故天竺へ行くの?」


 ぴたり、と動きが止まったのは悟空だけではなかった。
 談笑は止み、その瞳に何を映しているのか、紫煙を燻らすように中空を眺める悟空。何処か気遣うように彼女を見つめる仲間達。


「理想郷なんて存在しない、天竺になんて価値は無い、三蔵さんのお師匠さんはそう言ったんだよね。
なのに四人はありもしない天竺(りそうきょう)を目指して旅を続けてる」

「…那胡殿」

「その目的の意味が彼女には分からない。
無意味なのに頑張るのは何故?
何の為に頑張れるの?」

「那胡殿」

「知りたい、教えて。
ねぇ何で」

「那胡殿ッ!!」


 叩いたテーブルがたわんでコップを床に投げ出すほどに、憤怒とも言えよう怒りが小竜の顔からは読み取れた。
 何故怒るの?
 その台詞だけはどうにか飲み込んだ。
 その「知りたい」は彼女を怒らせてしまう、あまりに遅かったが那胡にもそれが理解出来たからであった。


「そうしてほしい、って言われたから」


 何も言えず黙していたままであった那胡に、悟空が口を開く。
 今度は黙って、それを聞く。


「自分で意味が分からなくても、誰かに無駄だって言われても…そうすると笑って喜んでくれる人を一人知ってる。
その、たった一人の笑顔の為に、作り物の理想郷を天竺(ほんもの)に変えるんだ」


 それだけ口にすると、さて、と悟空は席を立ち、


「じゃあシャオりん、買い出し行こっか。
今なら三百円まで奢っちゃる!」

「悟空殿…し、しかし…」

「つべこべ言わずに立てぇーい! ほらほら、早いとこ行かないとディナータイムに間に合わないぞぅ!」

「ちょ、痛っ! 悟空殿、わりと本気、悟空殿! 如意棒は、如意棒はやめて!」
66 ヴァン
 照れ隠しで、悪党を容易く薙ぎ倒す凶器でもって容赦無く味方を小突きながら退場していく悟空を、ぽかんと見送る。
 すると、こほん、と咳払いしながら、金角と銀角が那胡を両サイドから囲んだ。


「「なんかゴメン」」

「…ううん、今のは多分彼女が悪かった」

「えっ、分かっててやるとか…」
「それでいて多分とかマジぱねぇ…」


 何故か感心された。


「…良ければ聞いてほしい」
「…出来れば聞いてくれ」


「「やさしくて、かなしい神様のはなしを」」


〜・〜・〜


 観世音菩薩。
 全てを見通す眼で全てを見守る、あらゆる全てを愛した神様。

 ーこれはいけない、雲の上からでは何も分からない。

 神様は空の上でふんぞり返るのがお仕事。
 なのに今日も今日とて彼女は下界へ向かう。
 使い古されたスクーターに乗って、自分の足で。
 あれでは威厳も何もあったものではない、と周りは言う。神仏達はわざと聞こえるような声で彼女を馬鹿にする。

 ーやあやあ、愛しい子供たち! 観世音菩薩が今日も今日とて会いに来たよ!

 だけど彼女は気にしない。
 愛し子達の成長を間近で見守ることの、何が恥ずかしいものか。
 誰に何を言われようと、彼女は見守ることをやめなかった。
 愛することをやめなかった。
 そんな神様(彼女)のことが、人間達は大好きだった。


 だが時と共に、人は神の愛を忘れてしまった。


 やがて人は争いを始めた。
 それは守る為であったり、侵略する為であった。
 相手は妖怪であったり、同じ人間であったりした。

 ー駄目だよー、喧嘩は駄目だよー。

 彼女はそれでも、愛することをやめなかった。
 彼女の慈悲に胸を打たれた人間達は、やがて争いを止めた。


 そして、やがてまた争いを始めた。


 観世音菩薩は一人隠れて泣く回数が増え、お付きの二郎真君はそれを見て胸を痛めた。

 それでも彼女は、観世音菩薩は、今日も今日とて地上へ向かう。
 見守る為だけではなかった、目を逸らさない為でもあった。

 ーやっほー、神様ですよ〜? …あはは、役立たずの神様で、ゴメンね〜…。
67 ヴァン
 見守る彼女を、何故見ているだけで助けてくれないのか、と責める者もいた。
 賽子を振ったのは神ではなく人間達自身だったのに。
 なのに、彼女は困ったような顔で、申し訳なさそうに謝って、そして一人になるとこっそり泣くのだ。
 太上老君は、何故自分に話さないのかと案ずる言葉を、何も弱音を言わない彼女の為に飲み込んで捨てた。
 彼女が天部の言い付けに背き小さな小猿の面倒を見始めた時も、太上老君だけは気付いていたが、

 ー太上老君よ、観世音菩薩の姿が見えぬ。
 ー観世音菩薩は何処に?
 ーよもや隠し立てはすまいな?
 ー答えよ。
 ー答えよ。


 ー…さあ? また下界で小競り合いを始めたお猿さんの世話でもしてるのでは。


 ー然もありなん。
 ー幾星霜、どれだけ時が経とうとヒトの愚かしさたるや。
 ーこればかりは、あの変わり者に同情しようぞ。
 ー憐れなり。
 ー憐れなり。


 ……愚かなのはお前らだ。
 だが黙ることで、何も知らないふりで、道化になることで優しいあの娘を守れるのなら。
 太上老君は罵倒の叫びすらも飲み込んで張り付いた笑みを浮かべるのだった。


 …観世音菩薩は見守り続けた。


 ずっと愛し続けた。


 そしてー


〜・〜・〜


「…太白長(たいはくちょう)さま? 聞いてるですか?」


 自身を呼ぶ声に、太白長・庚星(こうせい)は助手席の少女の方へと顔を向けた。
 思考を巡らせていたせいか、長いこと無視してしまっていたらしい。


「やあ、すまない。
なぁに、今更なことではあるのだが何故に僕はこんなにも美しいのだろう? という永遠のテーマに思い悩むあまり、まるで聞いていなかったよ! ハハッ!」

「やはり痴呆だったですか。
有史以来のドシニアなのですからきちんと赤ワインでアンチエイジングしないとです。
というか、運転中は危ないから前を見るです」

「えっ、助手席から見る横顔の方が美しいって!?」

「ミリで掠りもしてないです」

「ハハッ! まったく欲しがりさんだな、じゅんじゅんは! ほぅら最も美しい斜め30度!」

「じゅんじゅん言うなです」

 心底嫌そうな顔をして少女、順風耳(じゅんぷうじ)は耳を塞いだ。
68 ヴァン
「…それより太白長さま、もう少し静かにしてくださいです。
太白長さまの声は天部一喧しいのでこう至近距離で喋られると正直頭痛がしてくるです」

「何だって、それはすまない!
ーだが断る!
何故なら、黙している時の僕は美し過ぎるからね!
芸術品がごとき造形美に対向車達は必然的に目を奪われるだろう、するとこうだ。
’美貌’不注意による記録的玉突き事故の発生さ!
民草の道路交通事情を守る為にも、僕は敢えて道化として喋り続けねばならない……分かってくれるね?」

「何一つとして分からないですが太白長さまの脳内が深刻にアウトバーンなのは分かったです」

「そう言えば僕に何か話があったのでは? 言いたまえよ、ちゃんと聞くから」


 伊達でなく本当に顔が整っているからこそ、余計に目の前の都合のいい耳をした上司が鬱陶しかった。
 順風耳の耳はただでさえ‘よく聞こえる’。
 そんな耳を持つ順風耳にとって「美しい」がインフレ起こしつつある彼女の芝居がかった大音量オペラ長トークは苦痛でしかなく、度々配置替えの嘆願書を出してはいるが未だに色好い返事は貰えていなかった。今は真剣に辞職を検討しているところである。


「…はい、天部から情報が入ったです。
通信では盗聴の可能性があるので、‘耳’に‘直接’」

「相も変わらずスマホ入らずだなぁ、じゅんじゅんは! アプリ搭載出来るようになったら教えたまえよ!
して、内容を聞こう」


「ーー大妖怪、『如意真仙』に動きあり、です」


「…おかしいな? てっきり僕らは今現在『端くれ』を追う任務の最中かと思っていたんだが?」

「『取るに足らぬ、捨て置け』、と」

「ーーハッ」


69 ヴァン
 呆れ返ったとばかりに片手で顔を覆う。
 だがもう片方の手はハンドルを翻し、そのままの速度で車を反転させ来た道を戻り始めた。


「…いいのですか?」

「仕方ないさ! 何せ命令だからね、ああ仕方ない! 例え一年近く追い掛けていた目標を目前にして『そいつもうどうでもいいよ』と言われようとそれが徳高き天部の皆々様の命令であれば喜んで従うともさ! ハハッ!」

「…怒ってるですか?」

「怒ってなーいよー!! ハハッ!」


 ー嘘つきの見栄っ張り。
 そんな『天部戦闘兵団筆頭』に、順風耳はこっそり溜め息をつく。


「それに、何処に耳があるともしれないです。
天部への不穏当な発言は控えた方がいいです」

「耳、耳だって? それこそお笑いというものだよ! ただでさえ耳が詰まった年寄りばかり、それも盗み聞きをするような不埒者、僕のじゅんじゅんが‘聞き’逃すわけがないじゃないか!」


 んぐ、と言葉に詰まる。


 ー…やあキミ、希望していた部署が無くなってしまったんだって?
 …そうかぁ、『彼女』の下に着きたかったのかぁ…
 ではどうだろう、僕の部署に来るというのは!
 戦闘は不向き? なに心配はいらない!
 どちらかと言えばブレーンを募集していたし、なにより僕は美しいからね! 少なくともキミの目の保養にはなるだろうさ!ー


 この人は、いつもはあんななのに唐突にそういう事を言うから、困る。


「……太白長の、ではないです。
部下ではあるですけど、そういうのは」

「ーしかし怒りに駆られながらもストイックに仕事に臨む僕、最高に美しくないかな!? 平時の美しさを百、とすれば今はどれくらいの美しさかな、じゅんじゅん!」

「少なくともその発言で台無しです」


〜・〜・〜


 気まずい。
 山のような食材を抱え、その背を追いながらも、小竜は悟空にどう声を掛ければいいものかと考えあぐねていた。
 ああ、折角二人っきりなのに、デートっぽい某なのに…。
 …い、いえ千里殿違うのです。これは浮気とかではなく甘酸っぱい初恋の暑中見舞で…!


「どったのシャオりん、百面相というかぶっちゃけキモいよ?」

「おっと心は硝子ですよ」
70 ヴァン
 塩対応に真顔に戻る。
 欲しいのは糖分なのです、可愛い貴女。


「…さっきはすみませんでした。つい感情が高ぶって、あんな大人げない真似を…」

「しょうがないって、むーちゃんのことだしさ。
シャオりんがキレてなかったらひょっとしたら私が、だったかもだし。
けどそれ、私に謝んのは違くない?」

「…帰ったら謝罪します。那胡殿に」

「それがよろしい」


 にしし、と笑う昔と変わらない笑顔が眩しい。
 いや、変わってないことはない。
 悟空の身長は、つい最近小竜も追い越して一番高くなった。


「何を…悩んでいるのです、悟空殿?」

「ありゃ、さすがにバレた? 意図的に二人っきりにしたの」

「ええ、長い付き合いです。
それくらいは察しますし、出来れば…助けになりたい。
銀角殿や金角殿には、言えないことですか?」

「んー……」


 頭をかきながら困ったように笑う。


「……言えなくは、ないんだけどねぇ。
反応が怖いのかな、多分。
シャオりんはその辺、無条件に味方してくれそうな空気醸してるし」

「いくら私でも時と場合によるんですが……悟空殿?」


 急に手を繋がれ、恥ずかしさよりも戸惑いが勝った。
 そして次に感じたのは、違和感。


「今ね、シャオりん。
私これ、全力で握ってるんだ」


「……何時から、ですか?」

「分かんね。
多分、経文使い始めたくらいから?
あれね、魔戒天浄経文。
滅多に使わんけど、実はあれ使った後ちょーしんどい」

「他にこの事を知っているのは…?」


 親父だけ、と短く答える。


「自分で選べ、ってさ。
このままでいいなら無理に使わんでいいし、気にしないならバンバン使えばいいって。
勝手に押し付けたくせにさぁ、あのクソ親父め」

「羅刹女さまにも話すべきです…!」

「それこそ言えないよ……っ」


 一息に吐き出された言葉に、どれだけの重みがあったことか。
 ずっとずっと悩んでいた。
 打ち明けたくて、何度も連絡を取ろうとして、なのに向こうからの通知に反応するのが怖くて、無視して。


「…親父のこと、そこだけはホント尊敬する…。
普通言えないもん。
同じ時を過ごせないのに、一緒に居てくれなんて。
自分だけが置いて行っちゃうの分かってんのに、それでも好きだなんてさ…!
ーーでもさ!」
71 ヴァン
 掴んでいた手を離して、駆け出す。
 少し離れた所で振り返った悟空は、既に何時もの笑顔だった。


「私、止まんないから!
歩き続けた先でむーちゃんが喜んでくれるのが分かるから、だから全然頑張れるから!
だから、勝手に弱音吐いといて何だけど、止めないでよね! シャオりん!」


 誰かに打ち明けねば潰れそうな不安も押し隠して、それでも旅を続けるのですか。
 最愛の人にさえ気持ちを隠して、それでも西を向く貴女を…。
 裏切れるはずがない。
 ただ頷くことしか出来ない。
 それが悔しくて、荷物を落としてしまうのも構わずその震える体を抱き締めた。


「わぷっ……セクハラー。千里に言い付けっぞー?」

「構いませんよ…構いませんから…!」

「…ふへへっ、しょーがねーなーシャオりんはー」


 慰めるように頭をぽんぽんと。
 違うだろう、そうじゃないだろう。
 そうしてあげたいのは確かなのに、そうすべきなのはきっと小竜じゃない。
 だったら、自分は彼女に何をしてあげられるのだろう…?


「ー不埒体験」
「ーあんびりばぼー」
「流石にドキドキするよ」


 ー見られた。しかも三人に。
 金角と銀角はスマホを構え、那胡は無表情のままいっそわざとらしく頬に手を当てていた。


「そこを動くな」
「うpしてやる」
「それは違う意味でドキドキしてきたよ」

「やめましょうよ、そういうの!
どうせうちの実家とか千里殿に拡散する気でしょう!? えすえぬえすとかいうので! えすえぬえすとかいうので!」

「いやーん、ダメなのー。今ー、素っぴんなのー」

「何でノリノリでポーズとってるんですか可愛いでしょう!!」

「落ち着けよ」
「駄目侍」


 確かに、一旦落ち着こう。
 すると、ととと、と那胡が近寄ってくる。
 というか、髪型を変えたのか。
 とりあえず、といった感じに天辺でまとめたちょんぼりに引っ張られ、今まで隠れていた目が露出している。
 不安そうに小竜を見ている。


「さ」

「さ?」

「さっきはごめんちー」


 いや、語尾。
 というか。


(いつも、こんな風に見つめていたのか)
72 ヴァン
 何故、と、分からないのは不安に決まってる。
 髪で隠れていた感情が分からないのも、話してくれるまで心の悩みに気づけないのも、こちらが察してあげたら、もっと早くに分かってあげられたかもしれないのに。


「…っ、怒ってませんよ! 怒ってませんとも!」

「わわ…っ!?」

「うわぁ、シャオりん遂に無垢な那胡にまでセクハラったよ!」

「そしてさっきはごめんなさい!」

「謝るのか」
「セクハラするのか」
「「どっちかにしろよ」」


 珍しく慌てる那胡をこみ上げる感情に任せて撫でくり回し、いつの間にか誰とはなしに笑いが漏れ、愛しき我が家へ帰路を辿る。

 優しい神様。

 祈る神は貴女しか知らないけれど、祈るに値しない妖怪の身だけど、小竜は祈らずにはいられない。
 どうかこの時間が長く続きますように。


〜・〜・〜


「…と、いった具合で彼女達は秘伝のオムライスの製法を教わるべくその老婆の元を訪ねたんだけど、すると、老婆は老婆ではなくセクシーなお姉さんであり自身に掛けられた呪いが若さを吸い取る代わりにオムライスを美味しくしていたのだと打ち明けられたのだよ」

「……あのぅ、これは業務連絡なのですよね? その、出来の悪いお伽噺とかでなく」

「最初にそう言ったよ? 地湧さんは何を聞いていたのかな」


 地湧さんはぐっと怒りを堪えた。


「…そして呪いの根源だった鶏は怒れる旧神だったので戦いになってしまったのだけど、なんとその鶏は無敵の鶏冠の加護でダメージを与えられなくて、それを無効化するために鶏冠を手に入れる前のひよこの状態の頃にタイムスリップするのを余儀なくされ…」

「……(ごくり)」


 混世魔王は珍しく起きていた。
 というか、真剣に聞き入っていた。
 解せぬ、と地湧さんは思った。


「…そうして『オムライスも天津飯も結局大して変わらんのじゃね?』という結論に至った彼女達が作り上げた新メニュー、『オム炒飯』が大ヒットして店は満員御礼。ショバ代もいつもより多く納められるというわけだよ」

「あの…正直、最後の三行だけ報告してくれれば十分だったのですが……。
その、こう言ってはなんですが、混世魔王様も多忙でいらっしゃるので」

「こんせーこんせー、そろそろメンテ空けるってよ」

「ああーーガチャの時間、だな」

「混世魔王様!!!」
73 ヴァン
 つい先日、義姉妹の契り(フレ登録)を済ませた混世と銀角が注目のレアキャラ増員につき課金の為いそいそと多忙を極めていた。
 スマホを持っていない那胡は羨ましそうに眺めていた。


「誰だ…余のスマホに『十連回してもスカしか出ない呪い』をかけたのは…誰だ…!」

「マジそれな」

「第三者に回させるとSSRが出やすいと聞くよ? そして都合が良いことにお手々がお留守な彼女が此処に居るのだよ?」

「良い…ならば余の十連を許す」

「我のも頼む。
いいか無心で回せ、無心で」

「任されたー。
…そして沼った」

「そうやって流言で混世魔王様を惑わせるのはお止めください!!!」


 遂に激昂したママは悪いお友達をぺしぺし叩いて追い返した。
 迫力よりかは申し訳無さで退散していく二人。
 内、那胡がいつも帰り際何か言いたげな目で自分を見ていることに混世は気付いていたが、敢えて問うことはしなかった。
 また明日でいいだろう、いずれ自分から口にする、と大体にしてそのように流していた。
 とにもかくにもイベントを周回せねば、とスマホに目を向けると、一匹の鼠が地湧の肩に飛び乗る。
 彼女の劵族であろう、か細いちぅちぅという囀りに地湧は沈痛に顔を歪め、混世へとすすっ、と身を寄せてきた。


「混世魔王様…恐れながら…」

「…構わぬ、申せ」


 二言、三言。
 耳元で囁かれた言葉にーーー混世は玉座より立ち上がり流れるような動作で太刀を執った。


「余の装束を持て」
74 ヴァン
〜・〜・〜

 ー彼女は、昔ある人を傷つけてしまった。

 ー暫く経った頃、彼女はそれをふと省みて、唐突にそれを悔いて、自分自身に呪いをかけた。
 そして呪いは、彼女から『三つの言葉』を奪った。

 ーいつか、傷付けてしまったあの子に伝える為に。
 その時の為に、この『三つ』を封印しよう…。

 ーそれはいつ、誰に?
 彼女には、封印した言葉を何処にしまったのかも、もう思い出せない。


「駄目やん」

「恥ずかしながらその通りだよ」

 てれりこてれりこ、と無表情のまま片手を頬に添える。そんな君のあどけなさに、イラッ☆
 混世魔王の所からの帰り道、隣を歩く那胡を心底鬱陶しそうに横目に見る銀角だが、どういうわけか仲良さげに『手を繋いだまま』、放しはしなかった。
 二人は果たして『そう』なのか、『そう』でないのか。
 いつの間にやら賑やかになった通りの通行人達は、この奇妙な温度差を醸す二人組をどう見やればいいか分からず、取り敢えず遠巻きにチラ見するに留めた。

「しかし、しかしだ那胡よ。
我のどっかの誰それの孫の少年探偵並みの頭脳は既に見抜いている、封印された一語をな」

「ほんとに? 実はやや足元がお留守な銀さんにバレるとはビタイチ信じられないけど、そう自信を持って言うのなら彼女は教えてほしいな」


「『私』もしくはそれに類する主語」


 ばっ、と口を塞がれた。
 ズバリか。
 珍しく焦りおって。
75 ヴァン
「は、恥ずかしいことを言うのは禁止、だよ」

「何を以て恥ずかしいと定義するか皆目分からんが、気にせず続けるぞ。
察するところ残りの二つだが」

「銀さんは意地悪だよっ!」

「馬鹿めが! 今頃気が付きおったか!」


 うわーん、と手を振りほどいてまで逃げ惑う那胡を、ニヤニヤと笑いながら見送る。
 その姿が見えなくなった頃、ふん、とそっぽを向いて機嫌悪げに呟く。


「…どうせ、他は気付いてないんだろ」


 だったらお相子だ、と。


〜・〜・〜


「そして迷子になった、彼女だよ」


 必死に逃げ隠れしていたら撒いてしまったらしい、と那胡。
 いやしかし、銀角の方が捜すこともせず無視して先に帰ってしまった可能性も捨てきれず。


「銀さんは未だに彼女に冷たい気がするんだよ」


 等と、言いつつも口の端は緩む。
 悟空は気安く肩を叩いてくれるし、小竜はこれでもかと甘やかしてくれる。金角はお菓子を分けてくれる。それと同じだ。
 要は、銀角にとっては意地悪なのが距離の縮め方であって、那胡にはそれが嬉しいのだ。
 だから、早く帰ってあげないと、

「きっと、心配させてしまうんだよ」

 意地悪な癖に優しいから、不安な思いなんてさせてしまったらー、


 ードンッ、と岩壁が弾け、吹き飛んだ人型が目の前で転がった。


「ガハっ…!? ゲホッ、ゲホッ…!」

「虎先鋒さん、ご無沙汰だよ」

「久方ぶりの第一声が、それかよ!?」


 顔色一つ変えずに片手を挙げる那胡に、ぼろぼろになった虎先鋒が顔も向けずに吐き捨てる。
 その視線の先には、


「ー上手く逃げた、と思ったか?」


 逃げられない。
 立ち向かおう等と、分不相応な思いなど露ほども湧かない。


「その慢心、塵に等しいーー死に場所は既に決した」


 ー魔王が、そこに居た。
76 ヴァン
「混世魔王さまー」

「行くな!!!
…知り合いなのか知らねぇが、今近付いたら確実に殺されるぞ! ほら行けよ、とっとと行っちまえ!!」


 無防備に近寄ろうとした那胡の腕を引っ掴むと、虎先鋒は直ぐ様逆方向へと突飛ばした。
 その勢いにたたらを踏むも、那胡は逃げることはせず混世魔王の方を向いた。
 今まで握っているところを見たことすらなかった刀がその手に収まっている。
 駄目だ、よくわからないが…きっと良くない。


「混世魔王さま、怒らせてしまうかもしれないけど聞かせてほしいんだよ。
……『何故』?」

「ー裁きを」


 柄を右手に、ぐっ、と両腕を前面で抱き込むようにして脇下から刀身を後方へ投げ出す。


「その者は恵岸にて罪を犯した」


 争い事に詳しくない那胡でも分かる。
 『あれ』は尋常の構えではない。


「法無き恵岸において、確たる法は唯一つ、余である」


 修羅場を潜った虎先鋒だから分かる。
 『あれ』を食らえば自分は死ぬ。
 いや、それだけではない。
 那胡が自分に『近すぎる』。


「故に、余が誅する」

「ならとっとと俺を斬れよ! こいつは関係ないだろう!? 手下どもは逃げのびた、今更命乞いなんかするつもりはねぇ!! 関係ねぇのまで巻き込むな!」

「虎先鋒さん優しさがエモい」

「ー気が変わった! まずはこいつを斬れ!」


 ースッ。

 不味い、不味いーー!
 虎先鋒の体が震える、冷や汗は止めどなく溢れている。
 混世魔王は、音も無く、言葉も出さず、一歩踏み込んだ。
 彼我の距離は、十二歩から十三歩といったところか。
 虎先鋒から那胡の距離はおおよそ二歩半。
 自分は確実に斬られるだろうが、この距離はともすれば那胡まで斬られかねないー!!


「―――桃園仙術式目、部分開帳(なう、ろうでぃんぐ)」


 ふわり、と蛍火が舞う。
 一体何処から―。


「三魂。
飛んで―――七魄霧散」


 しゅるり、と舞う那胡の手のひらから。
 やがてその火は一つの長き杭となる―!


「是即ち――――『なんかスゴい槍』ぃ!!」

「――名前知らねぇのかよッ!!」
77 ヴァン
 「てやぁ」と気の抜けるフォームからへろへろと投擲されたそれを、最初こそ警戒していた混世だったが、コレは明らかに驚異に値しないと判断したのか、構えを崩すこともなくひょいと身を捩るのみでかわした。


 ―――ゴゥッッ!!

「――ッ!?」


 ぽす、と弱々しく地面に落下したそれは、そこまでの緩い流れとは裏腹に、地を舐める灼熱となって混世を巻き上げた。
 だが混世もさるもの。
 勘のみで背後からの炎を咄嗟に外套で防ぎ、尚も絡み付くそれを払いながら壁を蹴って、炎を纏わせるようになりながらも端から端へ、外壁を蹴り駆け上がった。
 長くは持つまい、那胡は虎先鋒の腕を掴み駆け出す。


「今の内っ」

「手応えはあったか!?」

「恐らく――スゴく怒らせた」

「だろうな!」


 そこ、と那胡に示された朽ちた扉を虎先鋒が蹴破り、薄暗い路地の石段を駆け上る。
 だが全速には程遠い。
 気丈に隠してはいるが、恐らく虎先鋒は今にも倒れそうなほど限界なのだ。


「何で上に行く! このままじゃ屋根伝いで来たアイツと出くわすんじゃねぇのか!?」

「それでいい」

「ああ!?」


 ―げしっ。


「あっ」

「下まで降りたら、逆側の路地から逃げて」

「お!? おっ、おォ…!
落ちるの間違いだろぉおぉおぉおー!!?」


 急に振り向いた那胡に蹴られ、暫く粘ったが、堪えきれず憐れ虎先鋒は加速かかった酒樽のごとく今登って来た道を転げ落ちて行った。
 これでいい。
 転がりながら覚えてろー、とか叫んでいた気もするが、刀で斬られるよりは軽傷で済んだと思うので問題無い。
 あとは、


「――庇ったか、罪人を」


 登りきった先は高台。
 そこで彼女と、相対するのみ。
78 ヴァン
 煤けた外套を脱ぎ捨て、那胡を見る混世の目は。
 例えば、いつも眠そうに弛んだそれや、銀角とゲームをしている時の熱心なものだとか、実は地湧さんを弄っているときは優しげに下がっている眦。
 それらとは対極に位置するものだと、鈍い那胡にもそれくらいは理解出来て。
 物を知らないがゆえの場違いな感情であったにせよ、それが悲しくて、そんな目をさせてしまう自分を那胡は恥じた。


「先程の炎、仙術か。
妖怪でないのは見て分かった。
だが人間と断ずるには根本的に何かが違う。
そう感じた理由を今理解した。
余の慢心である」

「……、仙術?
そう呼ぶもの、さっきの?」


 はて、と首を傾げる那胡に、流石の魔王も戸惑ったのか、研ぎ澄まされた殺気が鈍っていく。


「…知らぬのか?
一瞬とは言え、余の虚を突き、余でなければ骨まで焼いたであろう、あの払っても払っても消えぬ悪辣な炎を、その名も知らぬままに操って見せたと?」

「魔王さま、刀を持ってる時の方がおしゃべりさんだね。しかも自画自賛がスゴいよ」

「戯れるな」


 魔王を、この最強の称号を、高々火遊び程度の炎で出し抜いた気になり侮るか。
 途端、殺気を膨らませる。爆発させる。
 常人が向けられれば最早立ってもいられないだろうそれを全身に浴び、


「服もカッコいいね、いつもジャージしか見たことなかったから新鮮だよ。『日頃からおめかししなきゃ女が腐る』って三蔵さんも言ってたんだよ。……廃るだっけ。多分そっちだ」

「口を閉じよ、不敬である」


 那胡は話し続けた。


「そうそう、報告したオム天津なんだけど、彼女も作れるようになった、というか、実はこれがなかなかのものなんだよ。
…自画自賛、しちゃったんだよ。魔王さまにも是非食べに来てほしいな」

「黙れ…」


 話し、続けた。


「美味しく、作れるよ? 嘘じゃないよ?
食べに来ないと絶対損すると思うな。だから」

「何故!!!
……何故、お前はそんな目で余を見る……?
悲しそうに…愛しそうに…!
何故だ……?」


 悲しそう?
 言われてようやく、自分の頬を伝う雫に那胡は気付いた。
 愛しそう?
 それはいくら考えても、理由が分からなかった。
79 ヴァン
「死が、怖いか?」

「―――違う」

「余が…怖いか?」

「違う」

「余は。
……会ったことがあるのか、お前と……? 余はお前を知らぬのに……何時だ……?」

「分から――ない。
多分きっとそうだけど、彼女はたくさん忘れてしまったから。
そのなかにきっと魔王さまも居たから、だから――!」


 ―――『ごめんなさい』。


「……余は、ある者と過去に誓いを立てた。
―――千人だ。
例え皆がどれだけ罪を犯そうと、余が罪人を千人斬る前にこの恵岸は平和な地になろう。
皆が分をわきまえ、その名と同じく、このところ地は恵みの岸となろう……。
だがそれが、千人斬ろうと尚訪れぬ平和であれば、そうまでして愚かなままなのだとしたら―――」


 ―――『わたし』。


「余はもう、そんな物は欲しくない」


 ―――『あなたの


「―――お前が千人目だ」


 那胡が伝え終わる前に、混世の手は刀を抜き放っていた。
 幸運、と言って良いのだろうか。
 混世にとっても想定外であったであろう、那胡には目で追うことすら出来なかったが、余りにも鋭利なその斬撃は、那胡を両断するより先に崖に突き出ていた高台の足場を真っ二つに両断していた。
 幸運、とは言えまい。
 斬られて死ぬところが、高所から投げ出されて地面に叩き付けられるという結末にすげ変わっただけであった。

 落ちる。

(待って)

 落ちる。

(まだ何も)

 落ちる。

(伝えられてない)

 空から、落ちる、時は―――


「たすけて」


 悲鳴の一つも―――


「たすけて―――銀さん!!!」


「呼んだか」
80 ヴァン
 ふわり、と。
 まるで当然のように救い上げられたのは、思わず名を叫んだ彼女の腕の中。


「スゴい」

「何がだ」

「空から落ちても、名前を呼んだら来てくれた。
本当に、嘘じゃ、なかった」

「ヴぁかめが。
偶然たまたま必死に急いだから間に合ったに決まっておろうが。
…次やったら無視するからな、絶対だからな」


 ――来てくれた。
 興味なさそうにして、汗だくになって。
 馬鹿にしたような顔をして、息を切らせて。
 鼻の奥がツンとして、涙が流れそうになっているのに気付き、泣くのはきっと違うことだと思って、銀角のパーカーをぎゅっと掴んで涙を堪えた。


「……銀さん、銀さん」

「あいあい、我思う故に銀さんである。何か?」

「銀さんはとてもいい匂いがする」

「――ぷじゃけるなヴぁーかっ!!!」


 軽やかに着地した、と思った側から放り投げられ尻餅をついてしまう。
 ぷじゃけるとは一体…?
 そしてお尻は痛かったけれど、赤くなって憤慨している銀さんは可愛いと思う、と打ったお尻をさすりながらもしみじみと頷く。


「法を妨げるか、無礼な」


 直ぐ様、追ってきた混世が着地してくる。


「――しかり、それがか弱き女性に無体を働くような法であるならば」


 混世の後方、刀の鯉口を切って答えるのは小竜。
 それを一瞥するでもなく、混世は正面を見据える。


「それが汝らの総意と受け取って良いのだな、今代の三蔵」


 正面には孫悟空。
 如意棒を構え、というか、地面に立ててゴツゴツと額をぶつけ、


「…暴力禁止…如意棒厳禁…平和を愛そうラブ&ピース…
―――よしっ! やっぱ無理!
仏さまもよく『喧嘩上等』って言ってるって、親父から習ったし!」


 色々と思うところがあったようだが、ぐるんと如意棒を回して混世に向けて構え、平常運転に移行した。
81 ヴァン
 それを見据え、剣を抜かぬまま溜め息を一つ。


「……一対四か。
許す、卑怯とは言うまい」

「古来より、魔王と闘う時は囲んで叩いてタコ殴りがセオリーと伝え聞く。
よって卑怯とかそういう苦情は受け付けぬ我、金角」


 ちらり、と側面の金角にも視線を走らせ。
 ぐるんと鞘に収めたままの刀を大仰に回す。


「特に許す。
多少は骨も折れようが、
――――そなたらの死に場所は既に決した」


 ぐっ、と腕を交差させ、刀を腋下から後方へと投げ出す構え。


(一言で言えば……隙だらけ)


 常より同じ得物を用いる小竜にとって、その構えは伊達を極めたお粗末なもの。
 斬る、突く、払う、の選択肢をわざわざ狭め、横に払うしかないその構え酔狂以外の何物でもない。


(そもそも鞘から抜いてすらおらぬ)


 防御ごとその豪腕でもって叩き伏せる金角には、その構えは何ら脅威を感じることはない。
 そも、守りのことなど一切考えてはいないと見える。


(だって言うのに……)


 だからこそ、分かる。
 如何なる相手と相対しようと、己の勝ちのイメージを掴み取ってきた悟空には分かる。


(((まるで勝てる気がしないッ!!!)))


 どうやっても、悟空には自分たちの勝ち筋が『見えない』。得も知れぬ悪寒から金角は守りを破ることを『躊躇』し、小竜は剣士として目の前の魔王の足元にも届かないであろうことを『理解』してしまう。
 一瞬にして広がるマイナスのイメージ。
 これが、最強の妖怪とまで云われた混世魔王のプレッシャー。


「十手」


 いや、と混世の口の端がつり上がり、


「―――九手で終いよ」


 場が、一斉に弾けた。
82 ヴァン
 如意棒、刀、金角のフォーク甲高い音を立ててかち合い、


「一手」

「かッ…ふ!!!」


 すり抜けるように体を捻るだけでかわし、交差した三通りの得物に挟まれながらも突き出された刀の鞘は、死角を突かれた悟空の鳩尾に吸い込まれていた。


「二手」

「ごっ!?」

「ガ、ァ!?」


 たたらを踏んだ悟空の側から拘束が解ける。
 させるものかと絡み合う刀と槍。
 スッ、と体重を感じさせない跳躍、これ見よがしに二人の武器に手をついて繰り出される蹴撃に頬を打ち据えられ屋根の上から転がり落ちていく。


 ―――ギィンッッ!!!


「三、四手」

「ッ…ファッションジャージストのくせに、思ったより速いではないか…!」

「そういうお前は存外遅いな。そんなに余より速く駆けたければジャージを着ろ、ノロマ」


 一行最速の銀角による二刀の不意打ちですら容易く防がれる。
 冷や汗を流す銀角に心底呆れ返った混世を見て、ビキリッ、と青筋が立てられた。


「誰がノロマだ、この、芋ジャー女!!」

「五手、誰が芋ジャーか、クソダサTシャツ女。そのキャラ何年前のアニメだ、オワコンに執着する見苦しい亡者めが」

「――高くつくぞ、それを言ったら戦争(ケンカ)だッ!!!」

「六手。その喧嘩、円盤代以下なら買ってやらんでもないぞ」


 心の聖域を踏み荒らされた銀角による荒々しい報復の斬撃ですら、雑談混じりに軽々といなされる。
 そこに、今まで復帰の機会を窺っていた悟空が、如意棒を構えて叫びを上げた。


「伸びろ如意棒!!」


 弾丸のように飛び出した如意棒の先端が、目標を捉えきれず向かいの櫓の屋根を吹き飛ばした。
 ちなみに、混世から向かって、という意味であってその櫓は悟空から見ると後方であった。


「七手」

「待って、やり直させて。数えないで、お願い!」
83 ヴァン
「―――吹っ飛べシャオりん!!」

「言い方っ!!
そして投げ方!?」


 屋根から路地まで転がり落ちた二人は、即座に起き上がり、見失うものかと頭上で繰り広げられる剣劇を追っていた。
 そして金角は地面にフォークを突き立て、並走していた小竜の胸ぐらを掴むと、梃子の勢いのまま小竜を投げ飛ばし自らも跳躍した。


「切り捨て御免ッ!!」

「赦す。
…どうせ当たらん」


 斬りかかる小竜。
 しかし、混世はその一撃を見ることすらせず体を捻るだけでかわし、刀の腹で撫でるように小竜の体を悟空に向けて投げ飛ばした。


「おわあぁっ!?」

「ああ!? お許しを!」


 未だ如意棒が櫓につっかえていた悟空はそれを避けること叶わず、小竜ともつれ合って互いにたたらを踏む。


 ―――ギィン…ッ!!


「なんっ…!」

「だと…!?」


 驚愕。
 小竜の奇襲は囮、本命はその後に飛来した金角の一撃―――を、避けた先に繰り出す銀角の追撃。
 避けられる筈がない。
 その筈が、結果として『屋根に突き立てた三又槍に銀角の二刀が縫いとめられる』。
 どう避ければ、どうタイミングを誤認させればこうなるのか、慌てて武器を引くも絡まり合って動かない。


「―――十歩必殺」


 逆さに宙を舞う混世の呟き。
 距離は、四人とも十歩以内。
 背筋を走る悪寒。
 気付いた時には、刀が抜き放たれていた。
84 ヴァン
「――ァ、ぐッ……あァ!!?」


 飛び散る鮮血。
 ついぞ今まで立っていた屋根が細切れになり、コマ送りのように落下していく中、それが己の血である事を銀角は痛みで理解した。
 何が起こった。
 いや、何処を、何度斬られた。
 それすらも分からぬまま、それでも混世に視線を向け、


(……違う?)


 奇妙な違和感。
 痛みはある、出血もしているだろう。
 だが、この血は自分のものではない。
 何故なら、あまりに『多すぎる』。
 視界を舞う血の量からして、こんな量を流しているとしたら、


(やめろ――――やめろやめろやめろ!!!)


 こんな思考にふける間もなく、


(やめろ…やめて、やめてやめて…っ!!)


 とっくに、死んで


「――那胡ォォォォ!!!!」


 見てしまった。
 吹き出す鮮血が、自分に被さるようにしている那胡の背から舞ったものであると。
 気付いて、しまった。
 自分にしがみつくようにして、彼女は剣撃に身をさらしたのだと。


「いっ……!!!」


 墜落する前に、その体を抱き締め、衝撃を肩代わりする。
 激痛がする、腕が上手く動かない、だがそんなことはどうでもいい。


「なん、で…!!
何で庇った!? 馬鹿か!? ヴぁかが!!
…死ぬな。
頼むから死ぬな! お願いだから死ぬなぁ!!」


 流れ出る血が止められない、腕の中にいる彼女の顔からは急速に血の気が失せていく。
 そんな中、那胡は必死に何か伝えようと口を動かす。


「て…み!
て…えが、み……!」

「てが…手紙、手紙か! あったぞ!」


 ポケットに差し込まれていた手紙を探しだし、その手に握らせる。
 痛いだろうに、苦痛に歪んでいた顔が一瞬だけ安らいだ。


「…わ、たし…」


 私。
 続きは、続きはなんだ。
 どうした、何で喋らない、何で動かない…何で


「やめろ銀角っ!!!」


 肩を掴んでくる悟空の叫び声に、やっと我に返る。
 さっきまで自分が狂ったように揺さぶり続けていた那胡の体を金角が自分から取り上げ、静かに横たえる。

 開いたままになっていた瞼を、そっと閉じさせる。