24 SDG
>>21:サンペイさん

>“錯誤”とは、「ある人」の解釈や認識による主観的事実と、
>「ある人たち」の解釈や認識による主観的事実との間に生じるものです。

横から失礼しますが、それは“錯誤”ではなく、“見解の相違”に過ぎません。

“錯誤”とは、「ある人」の解釈や認識による主観と、
「より多くの人々」の様々な解釈や認識による客観的な評価、客観的事実との間に生じるものです。

「主観的事実」というめずらしい語をググってみると、
某カルト教団のトンデモ科学者さんもサンペイさんと同じ主張をしているようですね。
http://hiroshi-kobayashi.at.webry.info/200804/article_17.html

「主観的事実」と言えば聞こえは良いですが、要は自分の思い込みを絶対視しているわけです。

強く思い込めば、強力なリアリティをもって実感できるというのは事実です。
それは覚せい剤や幻覚剤などを使えばより簡単により確かに実感する事が出来るでしょう。
確かに、思い込めば、実感できるというのは事実ですが、現実にそうある事とはまた別の問題です。
一人で生きていくのであれば、主観的事実があれば良いでしょう。
しかし社会の中で生きていくのであれば、客観的事実という概念を尊重していただかなくては困ります。