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34 晴海◆HARU
信仰?相変わらず大袈裟やな

俺はそれ、一生懸命に頑張ったやつらが試合に負けた際の【恒例のセレモニー】にしか思わないけどな

悔しさやなんだかんだを思い出だとか何かに昇華させるひとつの過程っしょ、それに選手本人達以外にも出場するまでに関わってきた人間も大勢居るんだし、そういった面々にもそのセレモニーを通しての納得っていうか切り替えに必要だからそれが続いてるんじゃないの?

美学でいえば、そういった連帯や敗者への労いに何らかのものを感じてもらいたいね。

本人達が"当然"だと思っているかは知らんが、甲子園のグラウンドを踏めるのは限られた選手のみなんだしその"記念品"としてまたは"参加賞"として持って帰ることが許されてる。

たった1袋の"砂"だぞ?

彼らがそれに"意味"を持たせることが出来るだけで美学としても充分じゃないのかな

それを当然の権利としてかき集める姿が強欲に見えるってーのかい?

認めてやれよ。セコイ考え持たずにさ。

砂代だとかそういった狭い了見で大会は運営されてもいないと思うし俺はもっと熱のあるものだと思うけどな。
"形"として残ったものをどう広げていくのかなんてそれぞれやし、ましてやその光景を個人的な医療費を引き合いな出してまで浅はかに気味悪がるのはあんたくらいのもんやろ
(docomo)