88 SDG
>>80:ひつじさん

>重要なのは、どれが妥当な解釈だと言えるか、あなたが学術的に論評することでしょうね。

まったくもって、その通りだと思います。

一般のキリスト教会は、イエス様を尊敬すべき存在として、「違法行為や反道徳的、反社会的な行為を推奨しているわけでは無い」と解釈しています。

反宗教的な無神論者は、イエス様を軽蔑すべき存在として、「違法行為や反道徳的、反社会的な行為を推奨していいる可能性がある」と解釈しています。

イエス様を尊敬すべき存在として、「違法行為や反道徳的、反社会的な行為を推奨していいる可能性がある」と解釈しているのは、(多くの場合、正体を隠した)カルト宗教の宗教指導者くらいでしょう。そのような「学術」があるのであれば、私も教えてほしいものです。

ひつじさんのおっしゃる通り、現在、日本を含む多くの民主主義法治国家のキリスト教会では、「不正な管理人」の説話は、あまり取り上げられません。

支配階級の人間が民衆を絶対支配するための不当な戒律・悪法・慣習が蔓延っていた時代は、その時代の法やしきたりを打破して新しい時代を切り開いていく必要もあったかもしれませんが、現代日本はその様な社会ではないからです。

民主主義法治国家では、法は破るものではありません。法に不備があるのであれば、民主的な方法によって法を改定する事が出来ます。
このような社会では、「不正な管理人」の説話から教訓を得る必要は無いのです。

ただし、らさんの話を聞いていると、近年のカルト宗教対策として、社会的な存在としてのキリスト教会では、この「不正な管理人」について、間違ったカルト的な解釈をしないよう、あらかじめ適当な解釈を教えておいた方が良さそうですね。
少なくとも、「イエス様が不正を推奨しているわけでは無い」という事を教える必要性はあるのだと思います。