9 聖書
新共同の「不正にまみれた富」は私も知るところではあるが、
「不正に得た富」と訳してある聖書の存在は知らないのである。
また「不正に得た富」と"解釈"した上での説教を"あえて"試みる者の存在は私も知るところではあるが、
イエスが「富を不正に得よ」とでも言ったかのように解釈する者の存在は後に記した例しか知らないのである。
(他に擬人的、より霊的な抽象的解釈を試みている者などもいるが、それは捨ておく)
よく時代考証し、聖書全体を俯瞰し、ルカ伝の流れ、前後の文脈を吟味せば、
そのような解釈はあまりにも乱暴であることも理解できよう。
>パリサイ派やサドカイ派やエッセネ派がいたことは知っていますよ。
というならば尚更である。
しかもそれを知っていながら>>3程度の理解、というのは些か残念、又は不可解にも思える。
更に日本をはじめとした各国語訳の聖書の比較検討でもしている者ならば、
「不義のマモン(マンモン)、不義の富、不正の富、この世の富、世俗的な富、不正にまみれた富」
くらいは聖句の引用の際に用いるかもしれぬ。
が、初っ端から「不正に得た富」とイエスが言っている、と表現する者については何とすればよいのだろうか。
これは引用ではなく単なるうろ覚えによるものであろうか。

>私自身は「得た富を貧しい人のために使ってあげなさい」くらいの意味に理解しています。

などと書いているが、このような釣り発言をしておいて、何を今更である。

>37:管理人
>>35 らさん
いやぁ、日本語は難しいですねぇf^_^;
『悪質商法をする事は正しい』『多額の借金をして献金する事は正しい』『家族のお金を騙しとる事は正しい』
と騙している。
と言えばシックリくるでしょうか?
12/21 23:36

>38:ら
日本語難しいですか?頑張って勉強してください。
騙すというのは「事実でないことを事実であるかのように話す」ことです。
「借金をしてでも献金をするのが正しい」と信者が言ったとすれば、
それはその信者はそういう価値観を持っていて、
その自分の価値観をありのままに話したということではないでしょうか?
そういうのを日本語では「騙した」とは言いません。
例えば、聖書に登場するイエスは「不正に得た富で友人を作りなさい」と言っています。
これはイエスが弟子を騙したということになるのでしょうか?
そもそも小林さんはキリスト教についてどれくらいの知識と理解がおありなのでしょうか?
12/22 12:01

これではまるでイエスも
「悪質商法」や「多額の借金」をする、「家族のお金を騙しとる」というような"不正や無理をしてでも「富を得て」、「友人を作りなさい」"
と言っている、とでも言わんばかりではないか。
そして統一協会をよく知る者は、大抵の場合信者が「自分の価値観をありのままに話」すだけでは終わらないことをもまた十分に承知しているのである。

故に話が紛糾した、それだけの話である。
他人の日本語やキリスト教についての知識と理解に対しお節介を焼いている場合ではないのである。

自分の想いを述べに来ただけの私にとっては、汝が食口であるか否かははこの際どうでもよい話なのである。
されど統一協会や拉致監禁問題に関わるうちにその影響を受け、中立だった軸足が知らず知らずぶれる者もいるであろう。
思考方法なども似てくる者もいるであろう。
故に食口疑惑をかけられやすくなる、それだけの話である。

また重ねて言うが、私は「不正に得た富」と訳してある聖書の存在は知らないのである。
それは私が数十年前に発行された文語譯聖書だからであろうか。
是非とも引用元が知りたいものである。
しかし、次のような証言の存在ならば私も知っているのである。
幾ら我々が言葉を尽くして説こうとも、汝の詭弁が今後も続くであろうことをも知っているのである。

>何しろそのために、理論(?)武装すらしているのだからあきれる。仏教から出た“ウソも方便”や、聖書の「不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい(ルカ16章9節)」を用いる。むろん彼らの統一原理によると、「“葉”には、裏と表がある。同様に、我が“言の葉”にも裏と表がある」と言う説明も可能だろう。
この世からは見えない月の裏側 統一教会について
http://www.geocities.jp/mongoler800/konouokarawa/konoyokarawa-.htm

をはり