14 サンペイ
>>5:SDGさん
多義的な言葉を前提にして議論を進めるのはいささか気が進みませんが、この掲示板で無用な哲学論争をするつもりもありません。それでは、ある程度の解釈の相違は、論の中で軌道修正しながら進めていきましょう。

わたしが「え?」と感じて思わずレスした前板
>>23:SDGさん
>統一教会の真実は統一教会内部だけで通用する真実であり、そんなものは、本当の真実ではありません。
>現実社会では真実はひとつです。真実とは、客観的事実に裏付けられ、時間や空間を超越して、より多くの人によって共有される概念です。

ここの「真実」を「事実」に読み替えるとします。
現実世界でも事実はひとつではありません。人が解釈してはじめて事実が認識されるのですから、事実も複数になります。つまり、統一協会内部だけで通用する事実も、本当の事実です。

「拉致監禁をされた」と認識している人にとって、これは本当の事実です。かたや「それは保護説得であり、強制ではない」と認識している人にとっても、それが本当の事実です。

立場が違うと事実は変わります。どちらが「客観的事実」かなんて決められません。
決められないから、「どちらの解釈にするか」をまた解釈しているんです。つまるとこと「主観的事実」です。主観と主観のぶつかり合いです。だから、強い方が勝つだけ。客観的事実なんてきれい事ではなく、数や力で片方の主観を押し付けるのです。

今は、たまたま「それは保護説得であり、強制ではない」という主観の持ち主が強いから、そういう風潮になっているだけです。いつでも形勢は変わります。「これは拉致監禁である」という主観の持ち主が強くなる世の中がくるかもしれません。

「客観的事実に裏付けられ、時間や空間を超越して、より多くの人によって共有される概念」ではなく、「主観的事実に裏付けられ、時間や空間が限定された、より多くの人によって共有される概念」にすぎません。