74 SDG
客観的事実が主観的解釈によって構築されている事はサンペイさんの主張を聞くまでも無く、すでに理解しておりますし、現に以前からそう書いております。
問題は、サンペイさんが主観的解釈=主観的事実という段階で思考停止してしまっている事です。
大切なのはその後です。
主観的解釈はそのままでは単なる思い込みと同じ価値しかありません。しかし、人類が歴史の中で創り上げてきた法・科学・文化によって多くの人々の主観的解釈が有機的かつ論理的に構築されると、それは社会において客観的事実として看做されるようになります。こういった社会の営みを尊重すべきだという事です。

例えば

「正体を隠したり嘘や脅迫を用いた統一教会の伝道が違法である」

これは裁判によって客観性が裏付けられた客観的事実です。


一方でmachaさんの主張する

「青春を返せ裁判は二二件余りある。これらの原告のほぼ全員が、このような違法な拉致・監禁によって強制改宗を受けた」

これは統一教会内部では実しやかに吹聴されている“主観的事実”かもしれませんが、外部一般社会においてはなんら客観性を担保するものの無い情報です。

サンペイさんは、この二つの情報が同程度の価値しか無いとお思いでしょうか?