お爺ちゃんの体験談

過去ログ2 2009/11/7 12:34

▼明
56歳 和歌山
作治さん
作治さん良かったら、友達になって下さい。宜しくお願いします。
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▼作治
78歳 新潟
最近は
儂ももう78歳だから、週に2、3回がせいぜいだ。センズリすることもあるが、年に何回かは、駒込か英都に遠征して中出ししてもらう。喜楽会館もたまに行くし、旅が好きなので、旅先で発展場にも顔を出す。みょうばん温泉、塩サウナ東洋、サウナ大覚寺、家族風呂ドリーム、サウナシティ、足利健康センター、マイアミ健康センター、蔵王サウナ、第一浴場、金比羅温泉、通天閣ラジウム温泉、どれも一度は顔を出した発展場だ。どこも年輩が多くて楽しかった。最近は生でやってくれる人が少なくて残念だ。儂も70代前半くらいまでは病気のことも気になってたが、78歳にもなると病気なんて気にしない。発症するより先にお迎えが来るからな。どんなに生きてもあと数年。それまでに何人とできるか楽しみだ。
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▼浩
45歳 石川
作治さんへ
いい時代ですね〜
今はどうやって処理してるんですか?
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▼作治
78歳 新潟
出稼ぎは天国だった
儂は新潟県の山奥に住む米農家の爺さんだ。今から30年以上昔、昭和40年代後半、儂は毎年冬になると大阪に出稼ぎにでた。村の男は近くのスキー場で働いたが、儂は大阪だ。理由は簡単、淫乱旅館竹の屋があったからだ。仕事が休みの日には朝から晩まで入りびたり、乱交につぐ乱交だった。儂は受けだから、例えトコロテンで放出しても、相手さえ変えれば何回でも射精できた。一昼夜で20人なんてこともよくあった。そんな時は踏ん張ると大量の精液が儂の肛門から溢れ出したもんだ。出稼ぎに出ていた30年間で、セックスし中出しされた男の数は1000人はいってる。同じ男とやるってことは、あんまりなかった。それほどたくさんの中熟年が、当時の竹の屋には、日本中から集まっていた。九州の炭坑夫、静岡の遠洋漁業の船員、能登の漁師、金沢の植木屋、タイブの親父がよりどりみどりだった。出稼ぎの半年間、ホモセックスに没頭し、春から秋までは田舎に帰って、やりたくもない女房とのセックスを数回。田舎での半年を我慢できたのも、出稼ぎの楽しみがあったからである。当時、危険な病気もなく、竹の屋では生掘り、中出し、乱高交が当たり前。本当に楽しい時代だった。
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▼老専
45歳 福岡
温泉での出会い
以前お仲間さんが集まるという噂がある温泉に行ってみました。若い人からおじ様まで色んな客層でしたが、その中で一人私の本理想である、白髪でお腹が出て体毛が薄くておまけに男前!最初は太ってる若い子が好きらしく、私には感心がなさそうでしたが、その太った子もおじさんには興味を示さずやむなく諦めた様子。その直後に次の狙いは私に!もうドキドキしてしまいました。連絡先をたずねる事を忘れてしまい
もう逢えないと諦めてましたが、先日また温泉で再会!二人とも欲情してしまい温泉を一端出ることにしました。話をしてる内に一人暮らしだからアパートに来ないかって誘われたんで、もちろん即OK。部屋に入ったと同時にお互い服を脱ぎ捨て布団に入って愛撫の開始・・・。乳首や亀頭、アナルを重点的に舐め回してやりました。勿論首筋やディープなキス、足の指先まで全身をじっとり舐め回してやりました。意外にも足の付け根辺りに性感帯があるらしく
気持ちよさそうにビクビク身体を震わせてました。彼は特に69が好きらしく彼が仰向けに寝てるのに上から覆い被さり私のはち切れんばかりの勃起を終始口に頬張ってました。私も負けずと彼のズル剥けをタップリと堪能させてもらいました。ゆっくりじっとりや、猛スピードでピストンしたり
鈴口の中に舌先をクリクリしたり・・・
別の体位をと彼の口から抜こうとすると両手を腰にまわしてしがみついて離そうとしません。どうやら口に頬張りながら射精するのが好きみたいでした。なかなか私の勃起を離そうとしませんでしたから、同じ体位で続行。そうこうしてる内に彼のアナルを指先でいじってみました。勿論彼のズル剥けをしゃぶりながら・・。指先に唾液をタップリ付けて先ずは一差し指を第一関節まで入れてみました。クリクリと優しく動かしても嫌がる様子はありません。じゃあもう少し奥まで・・・。一端抜いてまた唾液を付けて今度は二本に・・・。ゆっくりゆっくりそっと入れてみると見事貫通しました。相変わらず私のをむしゃぶりつきながら嫌がる様子はありません。入れて欲しいのか・・・?そう考えた瞬間私の勃起は更に大きくなり、もう交尾の事しか頭にはありません。淫乱種付けしたい願望が爆発し私の亀頭はついに彼のアナルへと進入し始めました。
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