お爺ちゃんの体験談

過去ログ21 2010/5/3 22:21

▼源蔵
65歳 青森
源蔵
私は老け専です。すみませんが、自分より若い方は無理ですので、お許しください。

それに、現在、下北半島の70代後半の方とつきあっておりますので、ご容赦のほどを。

またいつか投稿します。
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▼髭親父
45歳 青森
源蔵さんへ
出会いのコーナーに登録しました!ぜひお会いしたいものです!
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▼髭親父
45歳 青森
源蔵さんへ
素晴らしい投稿です!親父好きな私は感動しました!
私も田舎の方面です!会ってみたい!
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▼源蔵
65歳 青森
義父との秘密H
数日後、夕食の最中に義父の姉が脳卒中で亡くなったという報告が入り、義父は肩を落としていた。義父より12歳も年上だったが、貧しく多忙な農家に育った義父にとって、母親以上に面倒を看てくれた人らしかった。そして、その夜、義父は突如心筋梗塞の発作を起こし、あっけなく逝ってしまった・・・。義父の葬儀などあわただしい日々が過ぎると、義父の死がようやく実感として迫ってきた。あらためて深い悲しみが私の胸をえぐり、私は、一人布団の中で泣いた。しかし、やがて老い果て、寝たきりになって萎びてしまった義父など見たくなかったから、これでよかったのかもしれないとも感じていた。淫乱な義父は淫乱なまま逝った。それでいい。
 あれから9年、私は現在も青森県の山奥に住んでいる。その茅葺屋根の古民家は、義父が生まれ、義父が育ち、死んでいった家である。そこで私は婿として、そして2人の息子の父として、そして義父の性の対象として生きてきた。きっとこれからも、ここで生きていく。そして朽ちて行くことになるだろう。

 いつか義父との初体験の思い出、息子の誕生と義父の喜び、山の出作り小屋での交合、寝物語に聞いた義父の思い出話、そんなものを文章にしてみたい。そんなことを考えながら、今年も間もなく春を迎えようとしている私である。
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▼源蔵
65歳 青森
義父との秘密G
何より最大の楽しみは休日であった。私と義父にとって、休日とはホモ旅館に入り浸り、心の底からセックスを堪能する日であった。ある時など、一晩に10人以上もの男に続けざまに中出しされ、狂ったように自らのペニスをしごいて、2〜3回も続けざまに射精する義父を尻目に、そのすぐ横で70歳近い栃木出身の爺さんの肛門を犯したこともある。当時(昭和50年代終わり頃)は、まだ今のような死に至る病気なども蔓延しておらず、本当におおらかな時代だった。

 やがて義父は77歳になった。さすがに若い頃に比べれば身体は縮んでしまったとはいえ、他の年寄りに比べれば、まだまだ筋肉もたくましく、精力も旺盛で、何より淫乱だった。70代後半になっても畑仕事に精を出し、山菜取りに野山を精力的に歩きまわっていた。そんな義父が死ぬなど、想像もしておらず、心の準備も全くできていなかった。
 死の3日前には自分で自動車を運転して酸ヶ湯温泉に出かけ、近隣に住む3人のホモ仲間と一泊して翌朝帰ってきた。その日の夕方、義父を連れて、近くの温泉に出かけたが、露天風呂に一緒につかると、周囲に誰もいないのを確認し、
「昨日は久しぶりにトコロテンで出た・・・」
 と笑って報告してきた。義父は赤く濁ったお湯に下半身を沈めながら、チンポのあたりに拳をもって行き、そのままお湯の中でキュと握った。まるで精液が飛び散るように、拳の間からお湯がピュッと飛んだ。それを見て私も笑い、股間を固くした。見ると義父の性器も固くなっていた。私と義父は急いで風呂からあがると、トイレに入り、そのまま声を殺して肛門性交で交わった。久しぶりの交わりだった。誰か来るかもしれないというスリルは深い快感を呼んだ。私は壁に手をつく義父を背後から犯し、前に手をまわして義父のペニスをこすった。やがて義父のペニスにグッと力が入り、ピクピクと躍動したかと思うと、義父は喉の奥でうめきながら白い樹液を床にボタボタと溢れさせた。放出してまうと、さすがに苦しくなったのだろう。義父が
「早ぐいっでぐれ」
 と囁いた。私はさらに激しく腰を使い、義父を振り向かせ唇をすいながら、直腸の奥深くに子種を放出した。私はそのまま義父の背中にもたれかかり、大きな満足を感じながら義父の首筋をなめ続けた。それが最後の交わりになるとも知らずに・・・。
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