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前スレが埋まってしまったのでこちらに再掲します。

>>98:SDGさん

ようやく分かりかけてきましたか?

>らさんは、「イエス様が人を騙したり脅したりしてお金を奪う事を推奨している」と解釈させる事は
>「道徳」という観点から見ると、間違いだが、「真実」という観点から見ると、間違いとは言えない。
>というダブルスタンダードを使い分けているわけです。

道徳性と真実性とは異なる概念です。
「Aという発言の真意はBである」という命題の真実性と、
「Aという発言の真意はBであるからBを実践しよう」という教えの道徳性とは異なるのです。
私は初めから真実性について話しているのですが、
それをSDGさんが勝手に道徳性の話だと誤って理解したのです。
私が都合よく真実性と道徳性の話をすり変えた訳ではないのです。
そのことはこれまでの書き込みを冷静に読み返していただければ明白です。


>「律法」という言葉について、らさんは私やひつじさんとは異なる「解釈」をしています。

私は律法という言葉を聖書で使われている通りの意味で使っています。
木を見て森を見ずな議論にならないために話を戻しますと、
私は、イエスの「不正に〜」という考え方は一見社会通念に反しているような考え方だが、
そういう考え方であってもそれを人に話すことが「騙すこと」にはならないと言ったのです。
同じように「借金してでも〜」という考え方は社会通念には反しているかもしれないが、
そういう考え方であってもそれを人に話すことが「騙すこと」にはならないと言ったのです。
「騙す」というのは「真実でないことを真実であるかのように話すこと」だからです。
私は最初から道徳性ではなく真実性についての話をしていたのです。

これだけ懇切丁寧に分かりやすく説明すれば、さすがに理解できますでしょうか?