98 SDG
らさんは、「イエス様が人を騙したり脅したりしてお金を奪う事を推奨している」と解釈させる事は「道徳」という観点から見ると、間違いだが、「真実」という観点から見ると、間違いとは言えない。
というダブルスタンダードを使い分けているわけです。

>>62:>>63のひつじさんの書き込みと、>>64:の私の書き込みをもう一度落ち着いて読んでみてください。
「律法」という言葉について、らさんは私やひつじさんとは異なる「解釈」をしています。

そもそも私が提示したのは、「人を騙してはいけない。脅してはいけない。殺してはいけない」などといった、社会秩序や公共性を維持するためのルールや道徳観念(不文律)です。
一方で、イエス様が対立していた“律法主義”とは、当時の宗教指導者が信者を支配するための戒律であり、例えば、統一教会における「アベルを疑ってはいけない」「自分自信の愛する人とではなく、教祖様の指名した人と結婚しなければいけない」「反対派牧師の話に相対してはいけない」などといった類のものです。

当時とは異なり、現代では、民主主義も法治主義も歴史とともに成熟しており、その事を知っていれば、未来への方向性も考えることが出来るでしょう。
イエス様は、社会秩序や公共性を維持するためのルールと対立していたわけでは無いのです。