3 あい
親たちは娘奪還の一大計画を立てた。まずは平屋建て一軒家を借り切って
保護説得の場所を確保する。長野からは遥か隔たった千葉県市原市五井という町だ。
それは隣近所に知られず、統一協会にも嗅ぎつけられないし、場所が分からなければ
娘も簡単に逃げ出しにくいからだ。こうして協力者の都合を調整して決行の日取りを
決めると、ついにその日、人参茶を買うとの口実で本人を呼び出す。不審の思いと
淡い期待を抱いて、17万相当の品物を持って現れた娘をそこで一気に捕まえ、
猿ぐつわまで噛ませて車に押し込むと、かねて用意した説得場所に一気に突っ走り、
そこに閉じ込めてしまう。統一協会の言う拉致監禁だ。

以来、長野から両親、親戚が入れ替わり立ち替わりやって来て説得するが、
娘は母親に組み付いたり、かと思えば死んだふり。徹夜の説得にも原理講論を抱いて
寝るなど徹底抗戦で渡り合った。

こうした緊迫状態の中で私のことを知り、先の電話となったのだ。その電話で相談者の
詳細を聞いてみると、その家の窓には全部格子を付け、ドアの鍵も親以外は開けられないように、
いわゆる強制保護状態で必死の脱会説得を続けているが、今や、本人は死に至る断食を
始めて、もう今日で12日目・・・・このままだと我が家は本人も家族も破滅です・・・・
という限界状況との事だった。

一部、そうした方法で解決となる場合もあるだろうが、ひとたび心深くに刻み込まれた
カルト信仰というものは、そうした親の感情にまかせた訴えなどで消えるものではない。
逆に殉教心に火がつき、事態は深刻になる一方となるのは当然でもある。取り組むとしたら、
まずこうした基本を十分理解しておくことが大切で、それも脱会させれば解決というような
単純なものでもないということも深く承知しておかねばならない。
しかし実際はこの例のようなパターンは少なくない。