28 サンペイ
>>24:SDGさん
最近はレスポンスの回数が少なくなりましたね?
わたしの質問が難しくてググっていることが多くなったからですか?
それとも身辺に問題でも起きましたか?

(これらの疑問文は、あなたが
この場の議論にとって必要ない某カルト教団のトンデモ科学者を引き合いの出し、
この掲示板にあなたの「主観的事実」を浸透させようという行為に対する
「皮肉」ですので、回答する必要はありません。
この掲示板では、「誰と誰が似ている」「これは統一教会員だ」「そうだそうだ」、
などと主観的事実を広めて、それを絶対化していく傾向が強いです。
まさにわたしの>>14の主張が論証されている掲示板です。)


さて本題です。

>「主観的事実」と言えば聞こえは良いですが、要は自分の思い込みを絶対視しているわけです。

そうやって、もう既にあなたのほうから、主観的事実を押し付けようとしていますよ
>>14の問題提起から一歩も議論が進んでいません。
もっと>>14の主張をよく読み、的確な反論をしてください。

あなたが言うように主観的事実が「要は自分の思い込みを絶対視している」のであれば、
「拉致監禁をされた」と認識している人にとって、
「要は自分の思い込みを絶対視している」と言っていることと等しいですよ?
それでよろしいのですか?

>しかし社会の中で生きていくのであれば、客観的事実という概念を尊重していただかなくては困ります。

だから、その「客観的事実という概念」は絶対なのですか?
それこそ、「客観的事実という思い込みを絶対視している」のではないですか?
それが絶対である保証は誰がしてくれるのですか? かみさまですか?

絶対であるという保証がないだったら、客観的事実は「相対的概念」だということになりますよ。
つまり、「客観的事実」とは、より多くの人の「主観」によって初めて決定されうるものだと言っているのです。(>>14
分かりますか?

一生目が不自由で、一切外界を見ないで死んだ人にとっての主観的事実を、
あなたは単なる思い込みの絶対視だと言い切れますか?
この人にいくら視覚で得られる外界の姿を説明しても、この人にとってそれは客観的事実ではありません。

それなのに「社会の中で生きていくのであれば、客観的事実という概念を尊重していただかなくては困ります」と
視覚が正常な人が圧倒的に多いから、それらの主観的事実を押し付けているだけではないですか?
「拉致監禁の被害に遭った」と主張する統一教会員に対し、
彼を「説得」した親や牧師が口裏を合わせて「ソフトな説得だった」という主観を主張すれば、
それが社会では「より多くの主観的事実」となっていくのです。それだけです。
「客観的事実」などという不確定な用語を持ち出す必要はありません。

あなたがインターネットでやっていることも、そういった主観的事実を流布し、
より多くの人たちの主観的事実を形成していく作業にすぎません。