3 サンペイ
>>2:SDGさん。
米本さんがどうたらとか、議論と関係ない話はやめましょうよ。
そこの部分に反応する知的低レベルの書き込みがあって、議論が散逸化するからです。
まさか、それが狙いじゃないですよね?(くすっ)

>これは司法によって判断された客観的事実であり、国民一人一人が司法判断を信じることで法治国家は成り立っています。

そんなことは当たり前の話であって、わたしはその「奥」を探求しようとしているんですけど…。
例えば(あまり例をあげると、またその例に反応する知的低レベルの書き込みが心配なのですが)、
「誰が見てもそこにリンゴがあるでしょ?」ということは、当たり前の話。
そういうのを一般的に客観的事実だというのも、当たり前の話。
でも、その「奥」は? 誰も見なくてもそこにリンゴがあると言えるの?
そこにリンゴがあるということを誰かが認識しないかぎり、そう言えないでしょ?
結局、一般的に客観的事実と思われているものも、主観的事実の寄せ集めにすぎないということ。

このことは、
>みんなが青は進めであるという認識を共有する事で、社会は成り立っているので
す。
と、あなたもお認めになられましたよね?

司法といったって、誰か(国会議員)の主観が寄せ集まってルールを決めて、それに従って判断しているにすぎないでしょ?
国によってルールは違いますよ? 充分に主観的ではないですか?

論点を整理しますよ。
わたしがまずあなたとの議論ではっきりさせたいのは、
「一般的に客観的事実と思われているものも、主観的事実の寄せ集めにすぎないということ」です。

これに同意されるのですか?
それとも、主観的事実とはかけ離れた、いつどこで誰もが同じように認めることができる客観的事実があると主張するのですか?

どちらですか? もし後者であれば、主観から独立した客観をどう認識できるのか、ご説明ください。