67 SDG
>>45:いちごみるくさん

普通、分からないものは、分からないはずなのですが、いちごみるくさんは、「私には分かりませんが、」とおっしゃりながら、なぜか、とても詳細に答えてくれてますね。
まるで「茨木事件について聞かれたらこう答えろ(ただし嘘がばれた時の為、断定はするな)」というマニュアルトークがあるかのようです。
実際、幹部食口に同じ質問をしたら、いちごみるくさんと同じ答えを返してくれるでしょう。


パニック障害という病名とその治療法を知っているかに関係なく、精神錯乱を起こした人に対して、対処法がわからないからと言って「縛る」というのが、普通の感覚でしょうか?
もしそれがAさん本人と周囲の人間の安全を確保するためであれば、正当防衛であり、罪は認められません。
しかし実際には、「手当をせず放置して死去させた。」として、保護責任遺棄致死等で有罪判決が下されているのです。
この茨木事件はただの不運な事故でも自殺でもなく事件です。裁判によって認められたホンモノの犯罪です。

何故、統一教会は信者が修練会で霊的な状態(精神錯乱状態)になった時に、救急車を呼ばず、縛ったのでしょうか?
なぜ転落してすぐに救急車を呼ばなかったのでしょうか?

やましい事が無ければ、あるいは、現場の一人一人が自分の自由意志で行動できる人間であったならば、すぐに自分の良心に基づいて判断し、救急車を呼べたはずでした。

>上記の事件はAさんの突然の発狂が原因であり、
>誰にも予測することのできない緊急事態における緊急の対処が監禁だったわけですが、

人間の本性はイザという時(緊急時)に現れるものです。

一方で、マンションの窓に鍵をつけるのは、それこそ霊的な状態になった場合の自殺行為を防ぐためです。

物理的拘束のすべてが犯罪となるわけではありません。
大切なのは、それが本人の為であったのか、その必要性があったのか、安全性が確保されていたのか、、様々な背景を考慮するという事です。

「明らかに〜というしかありません。」
という思考停止に陥るのではなく、客観的な事実にもとづき自分自身の頭で考えてみてもらえればと思います。