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1 いとう

世界選手権 参戦記

ZIPP303のフロントホイール破損の衝撃から立ち直れないままBeam1にて東京へ。
そしてそのまま成田へ直行。フライト時間の10時間も前に到着。時間がなくてビビるよりは良い。本を三冊買いこみ長いフライトに備えるも、
待ち時間に二冊完読。あわてて週刊誌購入。
夜、6時頃からチームジャパンのユニフォームを着た人たちがチラホラ。皆、強そうだ、俺は11位で何とか出場権を獲得した身、謙虚でいよう。

今年はエリートの部、エイジの部合わせて79人が日本選手団としてフランス北東部のBelfortへ向かうが、
西日本の選手たちは関西空港から乗ることになるので日本選手団が終結するのはアラブ首長国連邦のドバイ空港になる。
とはいうものの私自身は大会後の旅行のこともあるし、選手団のパッケージ旅行が相当高価なので、航空券、ホテル等はすべて個人手配。ただ、機内自転車持ち込みが無料という飛行機会社を見つけ手配したら、偶然にも日本選手団と同じ便だった。

選手団を仕切るJTUの代表に、オフィシャルツアーの一員ではないものの、選手の一人である旨伝える。
「チューリッヒから列車で大丈夫ですか?」
と聞かれるが、「まあ大丈夫でしょう」と答えておくが不安がないわけではない。

選手団はスイスのチュリッヒから陸路チャーターバスでフランスへ移動する。もちろん、自転車79台分のトラックも手配済み。
一方、こちとら、自転車の入った箱をゴロゴロ押しながら見知らぬ異国を列車を3回乗り継いで行くことになるらしい。

飛行機はほぼ定刻通りに離陸。ドバイで選手団は倍増して一路チュリッヒへ。ここまで既に10時間が経過しているが、この先まだ6時間飛ぶ。その先汽車を乗り継いで3時間ほどだろう。待ち時間を入れると成田からの移動だけで23時間。俺はBeam1でプラス9時間の移動。遠いぜこりゃ!
まあ、とりあえず離陸!

つづく
2 いとう
スイスのチュリッヒにて日本選手団がほぼ集結。(前日入りしている人もいる)JTUの方からいろいろ説明があり、皆、一路、フランスへ向かうが、ツアーに参加せず単独行の私ひとりだけとぼとぼと列車に乗り込む。

だが案ずるより産むがやすい、難なく、世界選手権開催地、フランス、Belfortへ到着。早速、タクシーでホテルへ向かう。


「予約の者です」とフロントマンに伝えるが、
「・・・?」
「日本のヒロシ・イトウです」にも
「・・・?」
やばいぞ。
裏ワザ、スペイン語を放つも、効力ゼロ。
そこへ現れた、次なる客が救世主だった。通訳をしてもらって無事チェックイン。タクシーに案内してくれた女性といい、ここのフロントマンといい、どうもフランス人は英語を話せない人が多そうだ。前途多難だぞ、こりゃ。

夕食を済ませ、20分ほど歩いて日本選手団が宿泊している宿を訪ねる。
携帯電話を持たない私は毎日
一回、その宿を訪ね、日本選手団向けの情報告知板をチェックしなくてはならない。少々面倒だが、ここだけの話、選手団のオフィシャルツアーの半額以下でほぼ同じ行程を回っているのだから、その程度の手間はやむを得ない。
「依然、湖の水温が低く、SWIM競技の決行が危ぶまれています」の記。見通しは暗い。天気も相変わらずどんより、雨さえ降りかねない。気温も15度程度。
「競技の内容については明日の競技説明会で最終決定が下されます」と記されている。
翌日、各国の責任者のみが出席できる競技説明会を終えたJTUの方が日本選手団を集合させ、SWIM中止、BIKE短縮のデュアスロンになる旨を報告。しかし皆一応に平静。私はというと、泳ぎたかったなあ・・・。

結果、1st RUN 9.5km BIKE 85km   2nd RUN20kmで競技されることになった。110kmを予定されていたBIKEも標高1200m地点の気温が5℃程度で雪の心配すらあるということで大幅短縮となった。ミドルのトライアスロンレベルの距離である。フランスまできてミドルか・・・というのワタシの偽らざる気持ちでありました。
 カーボパーティーの前に各国選手団入場セレモニーがあって、我々日本選手団も勇躍登場、アメリカと同数程度の多さで、やんやの喝さいを浴びる。そのあとは茹ですぎのパスタを腹いっぱいいただいて散開。
明日はBIKE預託をするだけです。

つづく。
3 いとう
BIKE預託の為に日本選手団が宿泊するホテルまでBIKEで走る事、10分。私の宿泊するホテルには大会本部が運営するバスは来てくれないのです。後に聞いたところによるとオフィシャルツアーに参加せず、個人でホテルや飛行機チケットを取った人が私を含めて4人いたらしい。
「大会の後、フランス、ドイツを1週間自転車旅行する都合もあって・・・」といったら、JTUの人も大層、羨ましがっていた。

さて、小雨の降る中、BIKEをトラックに積み込み、人はバスに便乗して、市内から北へ8kmほど離れた、マルサーシー湖へ向かう。寒い。持参したすべての衣類を着こんでも寒い。気温は7,8℃だろう。湖の水温が14℃だというから、SWIMの後、濡れた体のまま、この気温の中、BIKEに乗り換えて走り出すことを想像すると、やはり、SWIM中止の判断は正しいと思わざるを得ない。

ゼッケン順にBIKEを並べるが、夜の雨のことを考え皆、配布されたビニールで厳重にBIKEを包んでいる。本来ならヘルメットやシューズも置いていきたいところですが、やはり雨のことを考え、明日、当日持ち込むことにする。

そのあとは皆、バスに乗り込んで「それじゃあ、明日、頑張りましょう」と言い合い、お別れとなった。私はそのあと、街を少し散歩しながら一杯ひっかけようと思って出かけたのですが、目星をつけておいた店が休みだったので、そのままホテルに帰ることにした。
その時期のフランスの日没は10:00pm頃で北にやってきたことを改めて思わせるのでした。したがってほぼ毎日、明るいうちにベッドに入って寝てしまわなければならないのでした。何しろテレビをつけたってフランス語ばかりですから・・。あたり前ですが。

明日は4:00am起床、レースです。半年間の練習の成果を出す時です。
4 いとう
エリートの部がスタートした後、エイジの部が三分毎に順次スタート。そんな訳で緊張している暇などありません。まあ本来緊張しない質なので特に影響はありませんが。同じく、デュアスロンになった宮古島に出たぶっちが言っていた、「1st RUNはぶっこまない」を思い出し、ペースを体で確認しながら走る。スタート直後にコースがダートに変わる。柵のすく脇では牛が数十頭、呑気に草を食んでいて、必死に走る我々に驚く様子もない。(モー、人間のやることはわからんなあ、モー!)
ダートにも驚くが斜度15%はありそうな登りが現れた。こりゃきついぜ!6km地点ぐらいだろうか今度は斜度20%はありそうな登りだ。コース全長の半分ほどはダート。完全なクロスカントリーコースである。意外と十分な余力を残して1st RUN終了。43'20、いい感じです。結果を見ると36位/69人。
トランジッションは特にやることもなく、ただヘルメット装着、BIKEシューズを履いてスルー、いざ85kmのBIKEの旅へ。T1(トランジッション1)は2'38。これが早かった、6位/69人。日本人トップ。これ大事です。四種目目の競技といわれてます。

BIKE。
寒さの影響で110km予定されていたコースが85kmに短縮。スタート地点が標高450m程度ですが1200m弱まで登る完全なヒルクライムコースです。前日の公式のコース下見会?勿論、そんなものに参加はしていません。見れば辛くなるだけです。俺、登り、弱いのよね。

客が来たので、つづく。
5 いとう
新調したエアロヘルメットのシールドを下し、臨戦体制完了、いざ勝負!と思ったら、シールドが曇って視界不良、それどころか視界ゼロ!慌てて、シールド上げて危険回避、ひえー、アブねえ。どうやらRUNで頑張った為、湯気が頭から上がっているらしく、ヘルメット内でこもるようだ。そんな訳で、エアロヘルメットなのにエアロ効果ナシ。まあ、少しはあるか。時々、シールドを下げるも、20km地点ぐらいまでは曇って使い物になりませんでした。
徐々に登りになってきました。そしていつの間にやら、九十九折の急勾配が続いています。平均斜度は8%ぐらいでしょうか。もちろん場所によっては10%は優に超える登りの連続です。その辺りから、ヨーロッパの選手たちに次々と追い抜かれていきました。見事に抜かれ続けました、本当に。抜いた選手は日本人二人ぐらいなもんです。ヨーロッパの選手は皆、軽いギアーで尻を上げるダンシングで登っていきます。ペダルに力を込めて登るといったふうでは決してありません。ただただ、回すことだけしか考えていないようなぺダリングです。当たり前ですが、普段からそういったトレーニングを積んでいるのでしょう。
山頂を極め、やっと下りはじめましたが、その斜度ゆえの猛スピードにブレーキングが大変困難を極めます。途中、強烈な下りで落車している選手も見かけました。骨折はまぬかれないでしょう。寒さの為、BIKEから落ちて、路側で身を縮めて大きく震えている選手もいます。小雨が止むことなく降りつづけていました。私も冷えることがないように下りでも足を動かし続けました。私が60km/hで下っているすぐ脇を猛スピードで追い抜いて行くヨーロッパの選手の勇気は大したものです。路面は完全にウェットなのにもかかわらずです。スピードが出る、稼げると思ったところでは彼らは必ず踏みます。平地ではそれほど遜色がない走りをしたように思いましたが、登り下りでの走りは比較対象外、今後の課題です。
85kmの旅が終わってみれば、3゜08'09"
38位/69人。日本人では2番です。

T2、ヘルメットをBIKEと一緒に雨に晒しておくのがもったいないので取りに戻って、ちょっとロス。T2は6'02"で35位/69人。日本人2番。

さて、課題のRUNです。今回は5'30"/kmで走りきる、という課題を持って挑みました、が距離が20kmに短縮。

客が来たので つづく。
6 いとう
パソコン不調で、やっと書き終わった
ものが消えてしまう悲劇に時々襲われています。ぢぐじょー!
7 いとう
同じ内容の文をもう四回も書いているのに
途中でフリーズ!!!
まったくもう、怒!
8 いとう
第二RUNは第一RUNを単純に二周回です。
相変わらず牛たちが、我々に叫んでいます。(モー、昼寝の時間なんだから、静かにしてくんねえかなあ、モー)

予定されていた距離がが20kmに短縮されたからでしょうか、皆、物凄い勢いでワタシを追い抜いていきます。まさに、ごぼう抜かれ?状態です。しかし慌てません。私は練習通りの走りをするだけです。入りの1kmは6'20"かかりました。(遅ッ!)しかしこれも練習通りです。じきに5'20"程度に落ち着くはずです。
3km地点からでしょうか、5'15"〜20"になりました。面白いくらい、練習通りです。
9 いとう
BIKEからずっと抜かれっぱなしですが、RUNに入ったらその傾向がますます顕著です。
それでも慌てません。順位は気にしていません。20kmを5’30”/km=1゜50’で
走りきるのがその日の目標です。その日のレースが20kmに短縮されたのが本当に悔やまれます。30kmで練習の成果を試したかったというところが本音です。
 明らかに年長者と思われるエイジ・グループの選手や後発の女性選手にも抜かれます。
 BIKEで「敵わないなあ」と思ったのもつかの間、RUNでも「さすが、世界選手権だなあ」と妙に感心。
 2ND RUNに入ってガーミンできっちりペースを管理しています。10kmを過ぎてもペースは5’20”をキープしています。いい調子です。それでも抜かれます。
 コースの途中に二度、ほかの選手と行き違う場所があります。各国の選手たちはそれぞれ自国のユニフォームを着ていますのでチームメイトを一目で判別できます。 我々、日本人のユニフォームには「JPN」とありその上には名前がはっきりと書かれてありますから私は行き違うチームメイトには名前を呼んで応援しました。日本代表を自覚するときです。私の胸にも尻にもその文字が入っているのです!
 ある選手がいっていました。「このユニフォームを手に入れたからもう私のトライアスロン人生で思い残すことはないですよ」
 この選手は昨年の世界選手権の国内予選にあたる佐渡の大会で最後まで私と競った群馬の方で年齢別枠上位12人に与えられる本選出場枠の12位ギリギリでそこフランスにやってきた人です。タイム的には50〜54歳の日本代表者の中で一番持ちタイムが悪い方ということになります。(もうひとつの国内予選、長崎五島バラモンキング大会は除外して)その次に持ちタイムが悪いのがこの私ということになります。
 「Sさんじゃないですか、佐渡で最後までずっと争った伊藤ですよ。元気ですか」
 「いやぁ、そうでもないですよ。あの後、右足を骨折しましてねえ。ここまでには間に合うかと思ったのですがねえ。まあ、最後は歩いてもいいと思っていますよ」
 私のみならず、皆、それぞれ順調とは言い難い時間を過ごしているらしかった。
 Sさんとは8/31の北海道洞爺湖のIRONMAN JAPANでの再会を約束して、スタート
ラインに立ったのでした。

つづく。
10 いとう
 16km地点ぐらいだろうか、二度目の斜度20%ほどありそうな坂が見えてきた。
選手の半分ぐらいが歩いている。一周回目は歩いている人などいなかったが、さすがにレースも後半、どの選手にも疲労が溜まっているらしかった。
私とて例外ではない。ペースは相変わらず5’20”/kmをキープし続けているが坂道となると話は別。登りが始まって足に負荷がかかった瞬間から歩き出してしまった。
頂上まで50mぐらいだろうか、きっちり歩いてしまった。ちょっと後悔するも、気を取り直してまた走り出した。
スタミナは問題ない。ペースも落ちることなく競技場に入った。最後に競技場を一回りしてゴールだ。
 「イトウさん!」とどこからともなく声がした。その声のした方向を見ると、日の丸の鉢巻きに羽織袴姿の男性の姿が見えた。一生懸命、日の丸の小旗を私に向かって差し出している。その日の丸の旗を受け取り、勇躍ゴール。直角に左に曲がるところを見逃し、危うくもう一周走るところだった。
 タイムは1゜51’41”(51位/69人)。目標の1゜50’を切れなかったのはあの最後の坂道を歩いたことによることは明らかだ。
しかし、ペースといいスタミナといい20kmを走り終えた後の疲労度としては決して重くない。
そのレースがたとえ予定通り30kmで行われたとしてもあのままのペースで走り切れるのではないだろうかと思わせるには十分な余力が残っている。
我ながら十分に満足できる走りとなった。しかし、全体からみると果てしなくビリに近い。
課題としては距離が伸びてもペースを維持し続けられる、あるいは後半は尚、ペースが上げられるスタミナをつけるということに尽きる。
そして、BIKEも勿論、現状に満足することなくBIKEで逃げて、貯金を作るぐらいの練習をしなければならないだろう。
 
 ゴールラインのすぐ先には補給テントがあり、ありとあらゆる食べ物が並んでいたが、
誰もがまず、真っ先にビールの列に並んでいた。世界中の猛者達はその一杯のビールのために練習を積んできたのである。私もひとしきり飲んで食べてテントを出ると、多くの選手がゴールしていた。多くの日本人選手も次々にゴールしていた。「お疲れ様です」と声をかけてはお互いの健闘をたたえ合う。そして皆テントの中へと消えていき、ビールの列へと並ぶのだった。
11 いとう
レースも終わり、着替えて帰りのバスを待っていたらバスは二時間後に出発とのこと。霧雨も降り続けています。寒いことといったらありません。そんな中、二時間もバスを待つなんて出来ません。
大会を通して知り合いになった同じエイジグループの男性が、「伊藤さん、自転車を漕いで帰りましょう」といいだしました。漕いで帰れば町まで三十分程度なのは明らかなのですが・・・。しかし二時間バスを待つ間の寒さを考えると選択肢はなさそうです。大きな荷物をハンドルに上手に固定して出発です。トライアスロンが終わった後に、雨の中10kmも自転車を漕いで帰る羽目になろうとは・・・。
 夕方、疲労困憊の体でやっとのこと、大会のクロージングセレモニー、表彰式会場に辿り着きました。さっきまでレースをしていた人達がもうたくさん集まって思い思いのグラスを傾けています。宿で軽くシャワーを浴びた程度でやってきたのでしょう。皆、恐ろしくタフな奴らです。疲労感が全くうかがえないのはいったいなんなんでしょう。会場のどこをみても晴々した笑顔ばかりです。
 セレモニーの間は各国それぞれのチームユニフォームを着ることが前提とされていますので、どの国の選手なのかは一目瞭然です。食事をしながら、酒を飲みながら表彰式が進んでいます。
 どこからともなく、「日本チームのユニフォームと私の国のユニフォームを交換してくれないか」という話が聞こえてきます。日本チームのユニフォームは黒地に日の丸のシンプルなものです。日本の鉢巻きや、扇子をくれといった話し声も聞こえています。どうやら、日本の物は人気の的のようです。気がつけば会場の至る所で各国のユニフォームの交換会が繰り広げられていました。日本の物はユニフォームとはいっても簡単なポロシャツですが、日本国内の予選会を通過してやって手に入れた念願の「TEAM JAPAN」のユニフォームですので交換したくない人もいます。断られてがっかりしている人に私が「私の物でよかったら交換してもいいよ」と声をかけてあげました。そして私の「TEAM JAPAN」のTシャツを脱ごうとしましたがその男性は「いや、Tシャツは欲しくないんだよ」とあっさり断られたのでした。「襟がついてないと・・・」。へえ、そんなものなのね。