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1 いとう

IRONMAN CANADA 敗戦記

 7/24、Vancouverに入り、そのまま会場であるWhistlerまでのバスに乗り込む。
120km,約二時間半の道のりである。夜8時発のバスだがカナダの夜空はまだまだ
明るいため十分景色が楽しめる。海と山が織りなす、ため息が出るような広大な眺めが続く。途中、落差335mの滝の下を通過。山の頂上からいきなりパラグライダーが飛び出してきて、空中を優雅に漂っている。
夜10時半過ぎ、Whistlerに到着。Vancouverオリンピックでのスキー競技のメイン会場となった街である。まだ営業していた観光案内所に行き、ロッジの場所を確認すると、「歩いてはいけないよ」とのこと。やむなくタクシーに乗る。10分ほどで到着。チェックインを済ませBIKEを組み立てる。そこへロッジのオーナーが現れた。何と日本語がペラペラ。
名古屋の大学に行っていたとのこと、何かと便利なことこの上ない。
 
翌日、大会のレジストレーションに出かける。街の中心地はサマーバケーションにやってきた人達で大賑わい。色々な言語が飛び交っていて、肌の色もさまざま。日本人は皆無。
そして物凄い数のマウンテンバイクが目を引く。どうやら世界的スキーリゾートをそのまま夏はBIKEリゾートとして使っているらしい。スキーリフトを見て大いに納得。何とマウンテンバイクをリフトに乗せて、山頂に向かって登っていくではないか。すぐそのあとを人が乗ったリフトが追っかけていく。あとは山頂から一気に下りてくるという寸法だ。ゲレンデがそのまま使え、リフトも一年中稼げるというまさに夢のようなリゾートになっている。これは危機に瀕している岩手県のスキーリゾートでもできるのではないだろうか?
 午後、少しBIKEで走って調子を確認、悪くないぞ。本番用のホイールZIPP303がよく回る。RUNも問題なし。SWIMは湖なので問題ないだろう、水温は19℃、大会当日は晴天が予想されているので試泳もしない。それにしても時差ボケが抜けず、夕方寝てしまう。そうなると夜、眠れない、まいったなぁ。
2 いとう
  大会前日、BIKE預託とその他諸々をトランジッションに預けに行く。IRONMAN CANADAはトランジッションが二か所あり、少々複雑だ。トランジッション1(T1)まではロッジから5kmほどなのでBIKEに乗っていく。完璧に整備されたBIKE PATHをのんびりと走る。去年のフランス、ドイツもそうだったが、諸外国は自転車道路が非常によく整備されている。
その日は土曜日ということもあり家族連れの自転車乗りや犬の散歩をする市民でそのBIKE PATHも渋滞気味です。森の中を切り裂くように作られたその曲がりくねった道はところどころに公園を配しながら、どこにでも行けるよう作られています。日本のようにさっきまであった自転車道路がその先、いきなり忽然と消えてなくなるなんて無責任なことは決して起きません。
さてさて行く手のBIKE PATHを自転車六台が道路を塞ぐように止まっています。
「ごめんなさい、あなたの左側を行きますよ!」と声をかけながら追い越すと、前方30m地点に何やら大きな動く物体。どうやら皆、それに阻まれ立ち往生していたらしい。ひえー!プーさんだ!それもグリズリーではないか?少し痩せ気味の幼獣だが立派なグリズリーだ。今盛んに実がつているベリーを夢中で頬張っているようだ。すると子供を二人連れた若夫婦は「さあ、並んで、熊さんをバックに記念撮影よ」と呑気、逃げる気はないらしい。サイクリングしていた老夫婦が家族連れに向かって「私が撮ってあげましょう」とこちらもまた呑気。「あなたも撮ってあげましょうか」と私に云ってくれるが「No Thank you」。そんなわけで私もそこで熊の食事が終わるのを待つことになった。5分ぐらいたっただろうか、我々を気に掛ける様子もなく熊は茂みに入った途端、「さあ、行きましょう」と自転車を走らせるではないか。熊はまだすぐそこの茂みにいるというのに。成り行きで私も一緒に走ったのですが、まあ、襲われればもろともという気持ちでした。カナダではどうやらプーさんとはそういった付き合い方をしているようです。日本も将来はそういったことになるのでしょうか。
3 いとう
 さてさて、命拾いをした後、T1までサイクリング。もう既にBIKE預託の選手でいっぱいです。
と、そこではたと気づいてしまいました。BIKEを預けた後、履いて帰る靴を持ってきていませんでした。BIKEに乗ってきたのでスパイクを履いていましたが、そのスパイクはヘルメットと一緒に「BIKE GEAR」と書かれた袋に入れて、所定の位置に置いて帰らなければなりません。まあ、ロッジまでスパイクを履いて帰ってもいいのですが・・・。やれやれ。
 結局、T2(BIKE ⇒RUN)のある場所まで移動するバスの中でも、RUN GEARを預託するT2周辺でも裸足。初めは気持ちがよかったのですが小石を踏んだりしたときの痛みはかなり強烈。そんなわけで止む無く、ゴール地点にあるショップでジョギングシューズを購入し一件落着。
広大なスキー場のゲレンデ、2800m級の山の峰々、氷河までもがすぐそこに見える街でビールを飲みながら食事をしてバスで帰還。夕方、眠くなったのでちょっと睡眠…のつもりが結構寝てしまった。相変わらず時差ボケが抜けません。明日はいよいよレースです。
目覚まし時計を三時にセットし、九時にベッドに入りました。スタートは七時ですから抜かりはありません。四時四十五分にタクシーも呼んであります。ところがなかなか寝付けません。それはそうです。夕方きっちり寝てしまっているのですから。まあそのうちいつのまにか寝てしまうのだろうと思っていたら、とうとう二時になってしまいました。諦めて起きだして朝食にしました。そこにヨーロッパの若者たちが酔っ払って街から帰ってきました。「頑張ってくださいね」と丁寧な激励をいただきました。苦笑。
BIKEのトップチューブに全身全霊を傾けて丁寧に貼り付けておいた補給サプリは、「カラスに取られるので、それは明日貼り直してください」と昨日係員いわれていたので、さっそく貼り直そうと行ってみると朝露でそんなもの貼れる状態ではありません。というわけでTRIスーツの後ろのポケットに押し込むしかないようです。やれやれ。
当日は快晴。SWIM会場の湖に朝日が差し込み始めるころは湖面から靄が立ち上がり、幻想的な眺めです。湖は周囲を高い山々に囲まれているのでこれもまたなかなか味わえない眺望です。水温は19℃、冷たいです。IRONMAN WALESの時の14℃に比べればまだましですが・・・。欧米人は平気です、彼らの肉体はは極めて鈍感にできてます。
4 いとう
IRONMAN CANADAはフローティングスタート、入水チェックしたまま立ち泳ぎをしているといつのまにかスタートです。1900人が一斉にスタートしますが思ったよりもバトルはありません。1600m地点ぐらいだったでしょうか、左ふくらはぎが痙攣してきました。SWIMの最中に痙攣は味わったことがありません。悪い兆候です。案の定、左ふくらはぎが完全に攣りました。伸びた足先を水面に向けるようにしながら立ち泳ぎをして痛みをこらえます。しばらくすると落ち着きました。また泳ぎ始めます。と、どうしたことでしょう、今度は右足です。そしてまた左足。合計三回も足が攣りました。そんなわけであまり蹴りをしないまま泳ぐ羽目になりました。ラスト1kmはびっくりするぐらい大勢の選手に抜かれました。アー悲しい。SWIM フィニッシュは1゜26’56”。 三回も足が攣ったのですから、まあ、そんなもんでしょう。それほど悲観するようなタイムではありません。IRONMAN CANADAではウェットスーツはボランティアが脱がせてくれます。
着衣を人に脱がせてもらうなんて経験はそうそうありません。いいもんです。私生活でも味わいたいものです。
T1ではサプリを腰のポケットに押し込んでスタート。数あるIRONMAN レースの中でも最も厳しいとされるIRONMAN CANADAのBIKEの始まりです。練習の成果を発揮する時です。T1を出るといきなり激坂。皆、もう息が荒くなっています、わたくしとて同様。
5 いとう
スタート地点から約95km地点まで基本的に平地はありません。途中、Vancouverオリンピックで使われたジャンプ台の横を通ります。斜度は10%という表示が目立ちます。一度13%ほどのところがありました。「ここがコース上で一番きついところですよ」とボランティアの人が声をかけてくれます。片側二車線の高速道路のようなところですので、道幅がかなりあります。したがって斜度の割にはきつく感じません。CANADAは国土の広さの割には街が少ないので基本、街と街を結ぶ道路は一本だけです。レースの時はその幹線道路を完全に封鎖するというのですから凄い!しかしそこにはあらゆる工夫がしてあります。1ループコースで、折り返しは二か所しかありません。二つ目の折り返しを最終の選手が通った後、順次道路を開放していきます。センターラインを跨ぐ格好で2mほどBIKEコースとして残し、その左右を上り下りとも車が走るというのですから驚きます。広い道幅だからなせる業です。
坂道を登っているときです。ヘルメットのシールドの右側が外れていきなりぶらぶらし始めました。片手運転しながら元通りにしようとしましたが思うようにいきません。しようがなく登りの頂上でBIKEを止め、ヘルメットを脱いでみるとシールド右側のネジが抜けてないではありませんか。これでは元通りにはなりません。思い切ってシールドを引きちぎって坂を下り始めました。初めは左手に持って走っていましたが、思うようになりません。胸に仕舞い込んでやっとひと安心。ゴミ捨て行為を見つかると4分のペナルティーですからゴミ捨て場まで胸に仕舞い込んだままでした。それでも順調に少しずつ前に上がっていきました。決して無理はしていません、いい感じです。
6 いとう
その日の予想気温は26℃ですのでそれほど暑くありません。その為でしょうか、ほとんど発汗しません。気持ちいいくらいです。日本の蒸し暑さとは全く逆という感じ。その代り日差しは日本のそれよりもやや強い感じがします。エイドステーションでは必ず水を補給しましたが、過去六回のレースの経験から今回は固形物の補給食は携行していません。サプリで十分だという判断でした。
登りで左太ももがヒクヒクいいだしました。SWIMでの痙攣、攣りといい、脱水の症状に似ています。給水は十分なはずなのに・・・。睡眠ゼロの代償でしょうか。勿論、眠気などはありません。最高速68km/hで眠気など起きるわけなどありません。そのうち左太ももが完全に攣りました。痛いこと痛いこと。右足で踏みながら左は休めます。何とか持ち直して踏みます。結局、二度攣りました。練習、本番を含めてこれほどまでに攣る体験は初めてです。
BIKEコースが初めてフラットになる辺りから向かい風がひどくなりましたが、景色は思わず声が上がるほどの絶景です。左右に果てしなく広がる牧場ののどかな眺め。その先には3000m級の山並みが連なっています。CANADA!と叫びたくなるような広大な眺望が展開されます。いつもはIRONMANのBIKEコースの記憶など全く残らない私ですが今回は違います。この景色を記憶にとどめておこうと必死なって眺めました。100km過ぎているにもかかわらずコースがフラットになると結構の選手を追い抜き、練習の成果を実感できました。こうなるとレースは楽しいものです。折り返してからの追い風にも乗ってブイブイ漕ぎます。150km地点でAVEは29.0km/h。このコースでの29は大満足の数字です。練習した宮古周辺の山々が思い出されます。
7 いとう
ところがです、150kmを過ぎた途端、急に体が動かなくなりました。あれあれ、さっきまでの絶好調はどこへ行ったんだ。根性とか気力とかといった問題ではありません。完全なガス欠状態です。その瞬間から急に暑さを感じ始めました。ゴールまでの残り30kmは選手たちがsuicide hill(自殺峠)と呼ぶ激しい坂道の連続です。太ももの痙攣も二度あり、もしかするとこれは脱水の症状なのではないだろうか?と考えました。空腹感はそれほどありませんから、ハンガーノックとは考えられません。そして昨日、一睡もしていないという現実が頭をもたげます。現れたエイドステーションでBIKEを降り、日陰に避難し様子を見ます。「もう少しだぞ、ここで休むな!」と大声で叫ぶ元気のよい選手が坂を登っていきます。そこのエイドでリタイヤを宣言する選手が四人ほどいました。私も思わずそうしようかと思いました。その時点で完走は絶対に無理だと感じていました。今まで一度も感じたことのない最悪の体調です。斜度10%程度の自殺峠をのんびりと走りだしました。BIKEのゴールまでは走り切ろうと決めました。そこからの30kmの長いことといったらありません。その30kmで300人ぐらいに抜かれたことでしょう。ハイウェイを折れ、やっとT2が近づいてきましたがそこでもまた登りです。インナーにギアチェンジした瞬間、今度はチェーンが外れるではありませんか。レース中にチェーンが外れるなんて経験も初めてです。まさに泣きっ面に蜂。しかし、泣いてばかりもいられません。すると応援してくれていた沿道の人が駆け寄ってきて、手助けしてくれます。手が真っ黒ですがやっとのことでT2到着。
BIKE 180kmを7゜23’56”。最後の30kmを2゜15’程度かかったことになります。
T2で座ったまま走り出そうとしない私を見て多くの係員が「大丈夫ですか」と声をかけてくれます。しかし症状は悪くなる一方です。吐き気も感じます。「救護室まで歩けますか?」という係員の後をとぼとぼ。その頃になると、自分の声がかすれ始めました。いったい何の症状なのでしょう。喉も乾くので水を飲みますが、一向に乾きは収まりません。腹がタプタプいってますが、喉の渇きは癒えません。「気分が悪くなったらこの袋に吐いていいのよ」とビニール袋を渡されました。さっそく、込みあげるものが・・・。歓喜ではありません。吐しゃ物です。しかし胃の中は空っぽですから出るものもありません
8 いとう
しかし胃の中は空っぽですから出るものもありません。「しばらく横になっていればよくなるかもね」というわけで、簡易ベットに横になりました。10分ぐらいすると「具合はどう?」と聞かれ「さっきよりも悪いです」と答えると、「そう、じゃあ、もう少し横になっているといいわ」と、結構、適当な対応です。「家族や友人に迎えに来てもらいましょうか」という提案に「家族や友人はいないんです」と答えると、「じゃあ、あなたはひとりで来たの?」と呆れ顔。「いったい、どこから来たの?」と聞くので、「日本からです」と答えると、すっかり迷惑顔。どうやトラブルが嫌な様子、さっさと帰ってほしいという本音が丸見えです。強い日差しが少し緩んだ頃、芝の上に横になり体を休めているといつのいまにか寝てしまったようです。1時間ほども寝ていました。目が覚めるとだいぶ体調も戻っていました。救護室に礼をいってやっと退散。
その頃には目の前のゴールにたくさんの選手が満面の笑みで帰ってきています。皆、疲労困憊は明らかですが完走メダルを胸に下げて満足感いっぱいの様子がその笑顔から見て取れます。

翌日、閉会式とハワイのスロットを決めるロールダウンパーティーに5kmの道のりを歩いて向かいました。その道のりこそが昨日走るはずだったIRONMAN CANADAのRUNコースなのです。路面には選手を鼓舞する内容の落書きが所狭しとしてあります。芸術的なものから笑えるものまでさまざまで、下を向いて歩いていると楽しくなります。月曜日の午前中ですが世界中から夏休みのバケーションに来ている人でそのTRAILも賑やかです。
人々は私の腕に巻かれている選手登録済みを示す青い腕輪を目ざとく見つけては「昨日は素晴らしかったわよ」と声をかけてくれます。子供たちは自転車に乗って走りながら、ハイファイブ(日本でいうハイタッチ)を強要してきます。これはかなり辛いです。できればそういう一人ひとりに「いいえ、私はフィニッシュしていません」と説明したいほどです。「NO FINISHER」というTシャツがあったら迷うことなく着ていたでしょう。
棄権したこと自体は恥ずかしいことではありませんが、完走者として賛美される資格はありません。5kmの道のりをのんびり歩いていたら閉会式もロールダウンパーティーも終わっていました。会場にはわずかに昨日の残り香が漂っていました。 
9 いとう
 
Vancouver行きのバスを待っている間、ニュージーランド出身でイギリスに住んでいるという女性に声をかけられました。
 「あなたも昨日走ったの?」
 「ええ、リタイヤしてしまいましたが」
 「私は二度目の挑戦だったんだけど、タイムは悪くなるばかりよ。もうやめようかしら」
 「でも、FINISHできたのなら、あなたは勝者ですよ」
 「そう思う?」
 「ええ、あなたは完走Tシャツも完走メダルも持っているでしょう。私にはそれがないんです」
 「タイムの問題ではありませんよ」

そんな言葉を交わしているうちに私は徐々に悔しさがこみあげてくるのを感じたのです。
 
こりゃ、またここに戻ってこなきゃいけないなと・・・。           完