管理人の独り言
過去ログ143
2012/2/12 12:56
▼真鍋周平備忘録 新婚旅行編 その12〜フォロロマーノ〜
パラティーノの丘は
「丘」と呼ばれるだけのことはあって
小高い場所からローマの赤茶けた町を一望することができた.
パラティーノの丘を抜け,次はフォロロマーノに向かった.
フォロロマーノは古代ローマの遺跡郡で
紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて
国家の政治・経済の中心地であったとされている.
政治,経済の中心というだけあって
そこにあるのはバジリカ(集会所)であったり,
財宝の収められた神殿であったり王宮であったりする.
ギリシャやローマの古代建築と聞けば,まず最初に想像するような
白い石像の柱が並んだ神殿をいくつか見ることができた.
(そのほとんどは完全な形では残っておらず,発掘された姿そのままに残されている)
一度はこういったものを近くで見てみたいと思っていたので良い機会になった.
こういった建造物は少しボロボロになっている方がカッコイイ.
フォロロマーノ内部に入ると遺跡の一部なのか岩なのかよく分からない
大きな石の「破片」があちこちに転がっており
その上に座って休憩を取っている観光客を多くみかけた.
皆,コロッセオ→パラティーノ→フォロロマーノと歩いてきて疲れているようだった.
2/12(日)12:56
▼真鍋周平備忘録 その11〜パラティーノの丘〜
コロッセオ内に売店でお土産を購入し
次はパラティーノの丘に向かった.
購入したお土産はコロッセオとは全く関係のない
イタリア料理(パエリア?)の調理方法と写真が載った本だった.
本というよりは美しい料理の写真を飾って楽しむものとして購入した.
レシピも書かれていたがイタリア語なので読むのは苦労する.
コロッセオに来たときは朝早く,人が少なかったが
出る頃にはかなりの観光客数になっていた.
朝早く動くに限る.
コロッセオの次はパラティーノの丘に向かった.
途中,フランスの凱旋門のモデルとなった
コンスタンティヌスの凱旋門を見ることができた.
コロッセオ周辺には用務員風の男が載ったセグウェイと遭遇した.
(セグウェイはパリのシャンゼリーゼ通りでも見かけた
パリではエッフェル塔付近で観光客に貸し出しているようだ)
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パラティーノの丘とはかつて貴族の邸宅が数多くあり
のちに初代皇帝アウグストゥスを筆頭に歴代の皇帝が独占した場所とされている.
最初はコロッセオ→フォロロマーノのルートを予定していたのだが
近くにあったのでついでに寄ってみた.
非常にのどかな場所なのだが
丘というだけあって起伏が激しい.
昔はのどかな高級住宅街だったのだろう.
初日は歩きっ放しだったのでこの丘のアップダウンは大きなダメージとなった.
丘全体がくすんで赤く
高さが一定の大きな松のような木が至る所に生えている.
そしてその大きさに見合わない爪程の大きさの松ボックリと思われる種が下に落ちていた.
丘には貴族の宮邸や演劇場,馬場跡などがあり
小さなレンガを大量に使った巨大施設がアチラコチラに見える.
当時の富豪達が大勢の人を集めて長い時間をかけて
財力を競うように建設した様子が想像される.
手前に見えるちょっとしたレンガの山でも
概算で1000個近くあるのに
あの大きさの建造物を作るために一体何個のレンガを焼いたのだろうか・・・
今も昔もある所にお金はあるものである.
2/11(土)18:07
▼真鍋周平備忘録 新婚旅行編 その10コロッセオが落成した折には
100日間に渡りイベントが続けられ
数百人の剣闘士が闘い命を落とした言われている.
また,今は当時の闘技場の舞台部分は無くなり
その下にあった地下施設が剥き出しになって見えている.
ここには猛獣の檻が準備されていたらしく
高さが高く分厚い壁で仕切られている.
その数や大きさからも相当な数の猛獣が準備されていたことが伺える.
当時はここで盛大に殺し合いを行い多いに盛り上がっていたのだろう.
ガイドブックによれば政情不安から市民の目を外らせる狙いもあったようだ.
今もヨーロッパは政情不安に揺れているようだが
今はどのようにして市民の不満のガス抜きをしているのだろうか?
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コロッセオの回廊には
発掘された彫刻や,当時のコロッセオを再現した模型などが飾られている.
そしてこの再現模型の造形が本当にしょぼい。。。
今日日の学生でも,もっとまともな模型が作れそうなものだ.
世界中の人が訪れる,いわばローマの顔のような観光施設に
こうした模型を飾っている点にイタリア人の観光客に対するスタンスを感じた.
「特に飾らずにありのままを置いているので
好きなように見ていって下さい」ということなのだ.
施設は太古の昔からありのまま置かれており
特に修復も行いませんよということなのだろう.
2/10(金)23:52
▼真鍋周平備忘録 新婚旅行編 その9コロッセオの外周の柱はボコボコだった.
それが戦火によるものなのか
長い歴史の経年劣化によるものなのかは分からなかった.
内部は4段構造で最頂部はかなり高い.
5万人収容できるだけあって内部は圧巻の広さである.
当時のヨーロッパの人口が3000万人程度であったことを考えると
ローマ市民のほとんどが一生に一回はコロッセオを訪れたのではなかろうか.
古いとはいえどことなく競技場の雰囲気を残しており
2人で歩いていて「なぜか試合のような緊張感を感じるねと話していた.
(競技場というよりは闘技場ではあるが)
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後で調べて分かったことだが
建造物自体は非常に硬い古代コンクリートを使って作ったものらしい.
競技場の内部は小さいレンガの間をコンクリートで固めたような作りになっており
(これ作るのに一体何枚のレンガを使ったのだろう・・・と思った)
昔は日よけ用の天幕もついていたようだ.
2000年近く前の施設だとは思えない.
表面の大理石は持ち去られ今はくすんだ地肌を見せているが
ピラミッド同様取っていくのが難しい競技場の最上部には
大理石が少し残っているように見えた.
建物の強度は強いようだが
階段の石はかなり磨り減っており
下り方向に傾斜がついていて
降りていると恐怖感を感じた.
2/10(金)23:23
▼真鍋周平備忘録 新婚旅行編 その8コロッセオに向かうと
正面の歩道を渡った先にお誂え向きの写真スポットがある.
というのも配電盤がいい具合に歩道にせり出しており
その上にカメラを乗せて自動撮りすると
正面からいいアングルで写真が撮れるのだ.
ちょうどウィキペディアに掲載されている写真がそのスポットから撮った写真であり
私もここで記念撮影をした.
コロッセオの入口に向かう
長い城壁にはローマ帝国の栄華の趨勢が記録されており
そのとき初めて古代ローマ帝国がヨーロッパの広い地域を支配した大帝国であったことを知った.
ガイドブックには「ローマパス所有者は
灰色の暖簾の専用パスから団体客として入場できる」
と書かれてあったため
まずはこの灰色の暖簾を探すことにした.
しばらく周囲をウロウロしたが結局,暖簾は見つからず
しびれを切らして中に入ると団体客用と書かれた小さなグレーの「旗」があり
これのことを書いてあったのか・・・と納得した.
ガイドブックの解説とはときに誇張して書かれているものである.
ちょうどトイレに行きたかったため
コロッセオ内部にある入場口付近のトイレを利用した.
ヨーロッパのトイレといえば有料のイメージが強かったが
普通に無料で使える良心的なものであった.
(結局,有料のトイレはデパートのものくらいでほとんどは無料であった.
旅行中にトイレに困った場合は
小さなカフェやバーに入って,軽い飲食ついでにトイレを済ませた.)
コロッセオ内部には
推奨経路が書かれた地図があったため
まずはその通りに施設をまわることにした.
2/9(木)23:17